2012年2月13日月曜日

「母の死をまだ意識してない出来事の続き2』

耳鼻科で、母に膝の上に抱っこされて診察椅子で
泣きながらも診察をやっと終える事ができました。

私は、「もういやだ!こりごり!」と思い、
母は、これに味をしめ、医者に行って泣きだしたら、
抱っこして診てもらえばいいと思っているらしかったようです。
   ☆甘えさせ過ぎですね?


耳鼻科に行ったことが忘れた頃、母が言うのです。
「お医者さんに行くから、洋服着替えようね?早く々・・・。」

それを聞いた私は、咄嗟に反応!
行きたくない!逃げるしかない!
”あんなのもういやだ!”と逃げ出しました。
母は追いかけてきます。   ”いつもならあきらめるのに?変だな~”

私は、本気で思いっきりダッシュして逃げます。
母も諦めず追いかけてきます。

 ”この時の記憶”
  • 母は追いかけっこのように、半分ふざけて追いかけてるのか?
  • どうして、耳鼻科連れて行きたかったのか?
  • 連れて行かないと父に叱られるからか?
「母ちゃんが医者の味方してる!」と必死になって逃げました。
ずーっと走っていると、たんぼが見えてきました。

その泥土のたんぼの中に入ったら、母ちゃんは追いかけて来ないと思いました。
私はドロドロの田んぼをズボズボ走り、田んぼのあぜ道から振り返ると・・・
母は、がっかりしたように戻っていきました。

”この頃から、作戦がうまくて逃げ足速かったようです。”

しばらくして家に帰ると、もう母は何も言いませした。
怒りもしません。怒っても効き目がないとわかっているからです。
母は私によく言います。  「言い出したら聞かない。」

意味は、”自分が欲しいものややりたい事があると、誰になんと言われても諦めが悪い”
悪く例えると   ”わがまま”   ”人どうあれ 自分は・・・・・!”
良く例えると   ”目標ができると必ず達成する”
その後
鼻の病気は風化し、自然治癒力に強くなりました。

もし母の死を意識していたら・・逃げなかったかもしれません。
母が困るのかわいそうだから・・・

☆母の死を意識するるきっかけに続く・・・

2012年2月12日日曜日

『まだ母の死を意識していなかったと思う出来事!』

小学2年生の頃と記憶します。
耳鼻科に連れて行かれたのです。どんな症状があったのかわかりません。
生まれて初めて来たところなので、どんな事をするのか?他の患者さんの治療しているのを
ジーっと観察してみました。
すると~ 鼻の穴にチューブを突っ込みシューシューと何(たぶん薬)かを入れてるんです。
それを見て自分は、あんなことしたくない!と思いました。

「母ちゃん帰ろうよ!帰ろう、帰ろう!」

すると母は、「せっかく来たんだから、
”先生に痛くしないようにやって下さい”と母ちゃんお願いするから、
”母ちゃん抱っこしてやるから”
”母ちゃん拝むから”
今日は言うこと聞いてね?」といろいろ工夫しながらなだめているようでした。
                           (本日、方言やめときます。)
それでも私は「いやだ!いやだ!帰ろう!」といつもどうりあきらめませんでした。
でも母もあきらめず、無理矢理私を抱きかかえ診察椅子座ってしまったのです。

診察光景は想像してください・・・・?  ”泣くなさけない姿”
母の死を意識していなかった思う理由については・・・続く・・・

”母の母だけのオリジナル子育て名言は、5年以内に違った方法で表現することにします。”

2012年2月10日金曜日

『骨折って痛いのがわかった‼』

イチジクの木に登って骨折した日は日曜日だったので、骨折院が開いていず、
「痛いよう!痛いよう!」と泣き続ける私をタクシーに乗せて母は病院を探しまわりました。

激痛でみるみると腕が腫れてきて車が少し揺れると更に大激痛です。
私はこんな激痛はじめてで「母ちゃん痛いよう!たすけて~!」泣き続けました。

やっと3軒目の接骨院で治療をうけることになりました。
先生は腫れた腕を引っ張るんです。怖くて怖くて・・・・・・・

その夜は、一晩中痛み続け母は寝ずんに看病してくれました。
母はいつも私が痛がると、抱きしめてくれるんです。
いつもそうでした。
私は痛いのが怖いです。
でも母がいっしょだと耐えられました。

この骨折事件で学んだこと ”イチジクの枝は裂けると云う事と骨折は痛いんだぞう~!”
だから大人になって、骨折しないよう注意して生活しています。

何事も経験です。   ”母ちゃんありがとう!”

2012年2月9日木曜日

『木登りが得意』

 ”ターザンごっこ”

子供の頃、木登りが得意でした。
大きな木に登り、枝がきしむまで登り枝先のほうでターザンのように
ぶら下がりながらほかの木に移ったり遠くまで飛んだりするのです。

危険そうな遊びですが母は「木に登るのはやめなさい!危ないから・・!」と
一切怒りません。
中学1年の秋の日曜日、その日母は家で仕事をしていたので、私も家で遊んでました。
庭にイチジクの木に実がたくさんあったので、イチジク採りを始めました。

”私は甘いのが嫌いですが、母はイチジクをたくさん鍋で甘く煮て食べるのが好きでした。”

木登りが得意なので、いつもどうり細い枝のほうにいくと、メラメラと枝が割れ始め
ドスーン! とまっさかさま!

結果、左腕骨折!初めての事なのと余りにも痛いので、”大泣き!”

母は、痛がる私をタクシーに乗せて・・・・・続く

2012年2月6日月曜日

『母へ、初めてのプレゼント!』

”母の死”について意識したのは幾つの頃か?
思い起こすと小学2・3年頃と記憶します。

5年生の時、働き者の母の手がグローブのように大きな手になり 
荒れているのがかわいそうで、おこずかいを貯めて、
 (50円玉の穴に紐をとうして貯めてました)
”母の日”にハンドクリームをプレゼントした事を覚えてます。

2012年2月4日土曜日

『この世でたった一つの恐いこと』

私は”怖いもの知らず”のところがあります。
でも子供の頃からずーと怖いことがありました。

それは、 ”母の死”です。誰でも人はそうだと思います。

私は兄が4人いる末っ子です。子供の頃から、近所の大人や親戚の人がよく母に言うのです。
「この子はバッチだから、親と一番早く別れっから、めんごくってしょうがねばい?」
 バッチとは方言で末っ子の事です。
”母親と早く死に別れるから、かわいくってしょうがないでしょ?”と云う意味です。

子供心に ”死ぬってどういうこと?”と考えました。
”死ぬって、母ちゃんがいなくなること、自分の前から”

それはそれは恐ろしいことです。
私を高齢で生んでくれたので、学校の参観日で友達は、「おばあちゃんがきたの?」と言われました。
それに対し私は、恥ずかしいんとは思わず、早く死んでしまうという事に現実を感じ悲しかった!

続く・・・

2012年2月3日金曜日

「勉強しなくていい!」と言った。 『母ちゃんの遺言』

私の母は、年老いて体が不自由になり車椅子の状態でした。
母は私に「こんな姿になった母ちゃんを見てせつねべ。」と言いました。
翻訳すると 
"自分の体が思うように動けず・足も悪くなり、そんな母親を見て、つらく苦しいだろう? 
そしてそう思う自分の娘がむごい” そう私は理解しました。

私は「そんな事ないよ。」と嘘をいいました。
本当は、毎年々逢う度に年老いていく私の母を見ているのが、
とてもとても何よりも、この世で一番つらい事でした。

そしてその気持ちを母ちゃんにみやぶられないようにしてました。
私を”かわいそう” と思う母ちゃんが ”かわいそう” だから・・・

母ちゃんは亡くなる少し前、テレビを見てつぶやきました。
テレビでは、”朝市で賑やかに野菜を売るお婆ちゃん達” が写ってました。
その場面を見て「あんな風に働きたい!」と羨ましそうに言いました。

そして私に「動けるうちは、働けな!」 母は若い頃とても働きものでした。
意味は ”仕事をできる事に感謝して、楽しく一生懸命死ぬまで働きなさい”
私は、それを大事に守ってます。

◆母が私に残してくれた数々のおもしろい”名言”を紹介していきます。