2012年5月31日木曜日

『"新藤兼人"映画監督の死去に思う事!』

また一人戦争を知っている方が亡くなられました。

知りませんでした。
私が、とても感動した映画を原作された人物だったとは・・・・・

その映画は 、野口英世の生涯を描いたもので
その映画が公開される前から知っていました。

野口英世と母の愛について
とても興味を魅かれました。

◆私はとて母親が大好きで
親子の愛情に心惹かれる傾向があります。


恋愛の愛より親子の愛を
描いた物語に涙することが多いです。

"遠き落日" この映画にとても泣きました。
野口英世は、福島県の猪苗代町に生まれ
貧しい家に育ち・・・・・・

恵まれない環境から勉強をしていく姿
そこには母親の大きな愛情に支えられ
そしてその母親と別れ、世界を助ける人物へと
成長していく人生を描いてます。

野口英世の母親は、「勉強しなさい!」と言わなかったと思います。

◆野口英世が偉くなって
母親と再会するシーンには号泣しました。

私の母が何気なく言ったあの言葉を思い出します。

"この世で一番悲しい事は、親と子が離れて暮らすこと"

恵まれない環境の方が頑張れる事もあるんです。

新藤兼人映画監督は、「生き残ったからこそ強く行きたい!」と・・

 見て下さい⇒                               「 遠き落日 」

私が子供を持たない人生になったのは
こんな悲しみをしたくないしたくないからかもしれません。

愛する人ができると悲しい事が多いかも・・・?
親子の愛はもっと深~~~~~~いです。

もし?子供がいたら愛し過ぎて心配でしんぱいで・・・・・
自分の母を愛し過ぎて心配で可哀想だったように・・・

だったら最初からいない方がいいかも・・・・って?
なあ~~~んちゃって!



2012年5月30日水曜日

『花々が好きだった父!』

当時の実家の周りには、四季折々の花々が
咲き乱れてました。
久々に 「ただいま~~!」 と帰ると
花々に囲まれた母の笑顔が迎えてくれました。

それがその頃のイメージです。
どんな事があっても怒った顔をしない母と父でした。

★それが私の心に一番 "グサッ"  とくるんです。

父は、動物・植物が好きで小鳥も飼ってました。
そして庭に植えたたくさんの花々・・・・
今も実家に 藤の花など咲いてます。
その昔父は、野菜作りも上手かったです。

◆その頃の自分を、今振り返ると下降トレンドでした。
その2・3年後に底がやってきました。
その底は2度目の底です。
1度目の底は、中学3年の時です。
3度目の底は2年前です。

2度目の底を助けてくれたのが父です。
父に助けを求めたのです。

「とうちゃん、ここから出して!自由して!助けて!」
父は真剣に望みを叶えてくれました。
お金で・・・・・・・・・・・・・・

★そして一言、「一人になって、幸せになれるんだな?」
「うん!」
いつも父は一言です。
何度も聞く必要などありません。
自分の子供を信じているから・・・

 充実した人生と自分なりのしあわせをつかめ!

父の言葉をそう理解しました。

"日本の底"

★1度目の底は、2003年
2番底は、2025年頃と私は考えます。

2003年の不景気の時、
日本は危機を乗り越え再び上昇へ
と思っていたら・・・
 2003年より悪い現状です。

 この現状はまだまだ続くと予想します。
2025年説は、自分で考えた独自の計算方法です。

                                                                                    
も~~~~し?当たったらアナリストと呼んで下さい。
な~~~んちゃって!




2012年5月29日火曜日

「母とドライブの思い出!」

★"好きな人しか乗せない!" ラングレーで
道がある限りどこまでもいくぞ!
もちろん海がメインです。
この頃は "海と車が好き!" と言ってました。
◆あちこち スッ飛んじゃってどっか行ちゃって
帰って来ない娘を母は、「暴れ馬が紐切れちゃったみたいだ!」
と表現しました。
父は、「オレげのジャジャ馬娘は、言う事を聞かなくてしょうがねえんだ!」
鼻の下をを長~~~くのばして近所の人に話していました。

普通、夫婦というのはどっちかが甘やかして
どちらかが絞め役だと思うんですが、
母と父はこんな感じでした。               

もちろん母をよくドライブに
連れて行きました。
福島にはたくさん観光名所があります。

母 はとても出かけるのが好きで
よく行ったドライブコースは
やはり猪苗代湖です。
海を好きになった原点です。

新平線(新潟と平を結ぶ道路)を走ると途中にあるのが
"野口英世館" その先には "五色沼"
5色に光る沼すごくきれいです。                  

母は助手席で、ほんのりとしあわせそうです。
結構、親孝行もたくさんしてるんです。

もし?"好きな人しか乗せない!"人ができたら
きっとここに行くかもしれません。



猪苗代湖をグルーっと廻り、
途中で食事休憩
帰路は、三森峠を走って帰ることが多かったです。

三森峠は道がグニャグニャと曲がった山道で、
キッキー、キッキーとブレーキしながら運転しました。


母と近くの植物園に行った時に撮った写真が
母の遺影写真になりました。          
父が選びました。

2012年5月28日月曜日

『父が買ってくれた"愛のラングレー"!』


人によってですが、年齢と共に欲しい物が変わります。
その頃は、ブーメラン族をしてました。 
ブーメラン族とは、一度実家を離れてからまた実家で生活することだそうです。

20代前半はやはり車・・・・・・!
車を運転して海に行きた~~~~~~~~~い!

車は3台乗り換えました。
  • 1台目⇒  トヨタ・マークⅡ          
  • 2台目⇒  日産・ラングレー
  • 3台目⇒  トヨタ・トレノ
マークⅡは、中古を自分で買いました。
気に入って乗っていたんですが、
やっぱ!新車に乗りたいな~~~!と

当時の若者に流行ってた車は、"スカイライン"です。
みんなが乗っていた"スカイライン"は、
あまり気に入りませんでした。

そんな時、新発売されたのが  "ラングレー" です。
"スカイライン" のミニ版として、
"ラングレーは、限定販売でかわいいかたち
天井の窓も気に入りました。

◆キャッチコピーは、"好きな人しか乗せない!" 
心惹かれるこの言葉!欲しくなりました"愛のラングレー"

                                        
ある日、父に言いました「父ちゃん車買って!」
すると父は、「なんぼだ?」 
"いくらするんだ?"聞いてるんです。

◆私は、「100万、う~~んと130万円位!」

そして翌日、ルンルンで買いに行きました。

トヨタの "トレノ" は自分で買いました。

遊び人が乗るような車ですね!

現代の若者は、車が欲しくんないと
ある人から聞いたんですが本当ですか?
そういえば、一度も聞いたことがありません。

生まれた時からなんでもあって、
荷が欲しいか解らないのでは?

◆余計な御世話でした。

昔の車のコマーシャルで、
昔の若者像が見えます。

★ご覧になって観てください。 ケンとメリーのスカイライン

◆恋の季節でした。

今、アメリカではブーメラン族が多いそうです。
大学行く為、家をでて就職せずに実家にもどり両親と暮らしてるようです。

日本では、両親とベッタリですね?


2012年5月26日土曜日

『父と猪苗代湖で遊んだ思い出!』

初めて猪苗代湖を見たのは小学生の頃のバス旅行です。
まだ海を見た事もなく、その景色は
突然、目に飛び込んできました。

「うわー!きれいだなー!ひろいな~~~~!すごいな~~~~!」と
青いさわやかなきれーーーーーーーーーーーーいな景色に大大感激です! その感激は今でも忘れません。
そして、その感情は "海が好きだ!" と実感しました。

猪苗代湖を初めて見てから、当然また行きたいと思い父へ頼みました。
すぐに父は連れて行ってくれました。
駅から磐越西線に乗って、猪苗代湖に行きました。

◆父と猪苗代湖に行ったのは小学5年の時です。

 猪苗代湖の志田浜で水がきれいだな~~~~と
 水の中の小魚を見ていると・・・
 聞き覚えのある声が聞こえてきました。

「お~~いここにもいるぞ!」 
あれ~~いつも自分をいじめるあいつの声・・・・・
その声の方に近づくと・・・
小魚をすくっているあんちゃん達の姿の中に

「あ! "いこー" だ!おっとさん "いこー" がいるよ!」
"いこー" とは私のすぐ上の兄の事です。

◆名前は、"いくお" と云うんですが毎日いじめられていたので
"いこー" 呼び捨てしていたんです。
"いこー" 達は、中学1年生で柔道部の合宿に来ていたのでした。
だからこの記憶は間違いありません。

◆私は、まだプールでしか泳いだ事がなくうれしくて、うれしくて・・・・
父は、「肩に摑まっていろよ!」と言って
グイグイと泳いでくれました。
「おっとさん、どれくらい泳げるの?」と言うと
父は、「ずーっとだ。」と答えました。
「ずーっとって、あの岸くらいまで?」

◆父は、「もっとだ!ずーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっとだ!」
「なんで~~~~~!どこで練習したの?」
「兵隊でだ!泳げないなんて言ってられない・・・・・」

厳しい訓練だったと思います。
生きるか?死ぬか!の訓練です。
パッパカパッパッパーとラッパで起こされ
一日中、ヘトヘトになる訓練の事も聞かされました

★日本の為に戦う訓練です。
恐ろしい残酷な戦争を "そういう時代だった。" と
 処理してしまうのは、はかな過ぎます。




日本人は、やっぱ!おしんこです。
父はよく 「野菜をたくさん食べなさい。」と言ってました。
今夜は、手作りおしんこで晩酌です。

2012年5月24日木曜日

『東京スカイツリーが世界一!幸福度21位?』

日本の技術力は優秀ですね。

むか~~~~~~~^し戦争で焼け野原にされたのに
日本の発展は世界一レベルになったのは、すご~~い!と思います。
でもそのピークは過去の事と感じます。

"幸福度は、世界36ヶ国のうち21位" だそうです。

なんで~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!
このランキング本当ですか?

世界一は、金持ちを意味してる気がしますが、
幸福度は、ランキングの半分以下で、"心の貧しさ" 意味してるような気がします。

◆そしてその21位の日本の幸福度の内容は、2位が教育だそうです。
"教育がしあわせ"  と云う意味ですか?
楽しみだ!これからの10年後が・・・・・・・・・レベル高くなってるんですか?


私は、人間にとって最も大切なのは "エネルギーと自然" と考えます。
昨年の震災で、更に思いました。
お金かけるとこのポイントが・・・・・・?
教育しなくたって人間は死にません。
でも、食べ物を作るには "エネルギーと自然" 必要ですね!


世界一、世界一、世界一、世界一、と誇張し過ぎでは・・・・・・・・・
世界一を意識して 中国のよりも高くする為、
途中で工事変更したようですね?

中国の人は気分悪いんでは・・・・?

もし?自分が他国の人なら?

「戦争で、コテンパンにやっつけたのに 日本は生意気だ!」
と思う人いるかもしれません。
9.11のようにならないように・・・

だってあの戦争は、世界一になって欲しくなくて
攻めてきたんですよね?アメリカさん

日本は、世界からうらやましいと思われてるんです。

海外に行って感じました。

★謙虚に生きましょう!
なんかつまらない・・・日本の考え方のレベル下がった感じで・・・


★父が戦った沖縄にて

2012年5月22日火曜日

『沖縄の戦士だった父の頬づり!』

よくある親が子供へする愛情表現です。

父も同じように、4人兄がいる末っ子に生まれた娘へ
頬づりをしてチュッチュっと・・・・・・・・・しつこいくらい
私は、「おっとさん!痛い、痛いよ~!」と言ってたのを覚えてます。
髭がゴシゴシと痛かったのです。
私達兄弟は父を「おっとさん!」と呼んでたんです。
「おっとさん!」は「父ちゃん!」より丁寧な呼び方です。
大きな家柄でしか使わないと思います。ここに家庭の複雑さが隠れています。

 

父は、子供達がまだ小さい頃
寝かせつかせる為、よく昔話をしてくれました。
「むかしむかしあるところに、おじいさんとおばあさんがいて
おじいさんは芝刈りに・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」といった感じで
"桃太郎や"浦島太郎"、花咲かじいさん"などの昔話

◆そして戦争の話を何回もしてくれました。
 私は生まれた時から戦争の恐ろしい話しを
 ず~~~~~~~~~~~~っと聞いてたんです。

◆今になって思うんですが、その戦争の話しで
 自分の生き方に影響があったんでは・・・・・・?と

”人はいつかは絶対に死ぬ!”
だから悔いなく生きなければならないと・・・・
そして今の平和な時代を有難く生きなければならないと・・・

父は左小指の下に銃弾の傷跡がありました。
その銃弾は腕を突き抜け、
肘の手前まで埋め込まれたようです。

怖かったと思います。
戦争末期、戦友は目の前で死に
死者の山だらけ・・・・そんな風景見た事ありあますか?
怖いですよ!
アメリカ軍に見つかれば殺されるんですから
父は孤独に逃げるしかなかったと思います。

◆父は気が小さい方だと思います。
 父は、子供達に勉強して欲しいと思っていたようですが
 言えないんです「勉強しろ!」と
 子供がいやがる事をかわいそうで言えないんです。
 それを私は知ってました。
  ★ふきは今が旬!子供の頃は食べれなかったけど今は好きです。
  こんな料理をよく父に作ってあげました。