2012年3月29日木曜日

『タイフェスティバル 2012!』

いつものゴールデンウィーク明けの土・日に開催されます。   チェンマイから来た
                                          ”海太郎”はwebで歩きます
昨年は、地震の影響で中止でした。
このブログで紹介した団体も出展すると思われます。

チェンマイで知り合った友達に会いたいです。
以前は、タイで知り合った仲間と行って
公園の中に座り、ビールを飲んで騒いでました。

帰国したての頃、チェンマイで知り合った仲間とは
定期的に良く合い、家でタイの音楽を聴きながら
ホームパーティーをしてました。

人を集めてパーティーをするのは、
チェンマイで暮らしている頃もよくしてました。
”日本料理パーティー”です。
みんな日本料理に飢えているから・・・
自分が言いだしっぺなので、ほぼ私が料理を作ってました。
ゲストハウスの屋上や、タイの友達の家などやってました。
人を集めてパーティーをするのは、母に似たところがあるからです。
                    
                    ”タイフェスティバル”

2012年3月27日火曜日

『僕は八路軍の少年兵だった!』

この素敵な船を作ってくれた方に、          この船、風呂の水に浮かべながら作ったそうです
当然お礼をしなければなりません。

船を作っていただいた方は年配の男の人で
会社を営んでいて、中国と日本を
行ったり来たりしている方とは聞いてました。

どこに住んでいるかもわからないので、
どうすればいいか考えました。
手紙にしよう!っと
近くのデパートで絵を買ってきて
お礼の手紙をつけて、
歯医者さんに持っていって
渡して貰うことにしました。

すると今度は手紙の返事がが歯医者さんから渡されました。
そこに書かれてたのは、”僕は八路軍の少年兵だった”と自書伝
を書いたと云う内容でした。
早速その本を買って読んでみました。

その方が中学生の頃、兵隊に志願したら
何故か中国に行かされたと云う事です。
下痢になって腸がお尻からでてきたり・・・
言葉もわからず、淋しい思いをした事など・・・・
戦争の悲惨さを書かれていました。
”苦労したんだな~” と読みながら泣けました。
やっと日本に帰国できた内容では、とても泣けました。

そして感想を手紙に書きました。
それから少しの間、文通をしていたと云う事です。

ある日、手紙を読んでいると
「今は毎日、・・・メートル水泳をしている。」と、書いてありました。
”水泳?”

その時季節は寒いので、どこかのスポーツジム通っているんだと考えました。
もしかして、自分が通っているジムではないか?と思いました。

その頃、自分が通っていたジムへ行ってみました。
ジムのスッタッフに訪ねると 「今、着替え中で、もう少ししたらプールサイド
に出てきますよ。」
私はプールサイドに行き、その方を見つけ
声をかけました。
「君か~!」とそしてやっと言えたお礼。
「心の込もった船を作って頂き、有難う御座いました!」
それからちょくちょくお茶を飲み
”チェンマイ”に行った事を話すと
こう言ったのです。
「ワシも老後は、そんなところで暮らしてみたいと・・・・」
この時、その方の年齢は75歳でした。
”この方の老後は、いつの事なんだろう?”と思いました。
元気でいいですね!

海が好き~手作りの船を頂き~この本との出合い→

まだまだ続きます。海が縁の、夢のような出会い!

2012年3月26日月曜日

『今朝の日の出!5時36分気温10℃』

気持ちのいい朝です。

”世界に一つだけの船!”


どんな船なんだろう?と楽しみでした。
次の日、会社から帰宅し、行きつけの歯医者へ
船を受け取りに行きました。
院長先生が、「こ~んなに、大きい船ですよ!」と
腕を広げて見せました。
「ちょっと待ってて下さい。」と診察室に戻り
大きな袋に入れた船を持って来ました。

「良かったですね!」と微笑んで、
「有難う!お礼しなくちゃ!」

この歯医者の院長先生は、話し方が面白いんです。
私に対して、子供にに話しかけるような話し方をするんです。
他の患者さんにはわかりませんが・・・

そしてやさしいんです。治療の仕方も・・
痛いを怖がる私に、「痛くしませんから・・・・・・」と

昨年の今頃も、その歯医者に通ってました。
そして治療の最終日に私の前に立ち、
しみじみ~と、私の顔を眺めるんです。
「何してるの?」と言うと
「う~ん、見納めしてるんです。」と言うんです。

見納めするような顔じゃないですよね?こんな年寄り!
今、その歯医者には、船を作ってくれた方が書いた
”絵画”が飾られてます。

さあ~、今週も海のようにさわやかに生きましょう!

2012年3月24日土曜日

『世界に一つだけの船!』

この船も、”海が好き!” だから得た物です。

その日のことをよく覚えてます。
タイに初めて行く予定が、1月の正月明けと決め
歯の定期検診に,行きつけの歯医者に行くことにしまた。

久々に歯医者にいくと、見たこともない船が飾ってあったのです。
私は、”海が好き!”なので、船にも興味を示します。

ジーっとその船を見ていると、院長先生が
「どうしったんですか?その船欲しいんですか?」っと言って、
私は、「ううん。」と
院長先生は「その船は、ここの患者さんが持ってきてくれたんです。」
「手づくりだよね。見たことないもん!」
その日は、そのまま帰りました。

次回またその歯医者に行きました。
診察椅子に座り、またその船をジーっと見てました。
すると院長先生が、「欲しいんでしょ。?言っときますよ。その船作った患者さんに。」
「いいよ。自分で言うから・・・・」

年が明け予定どうり。タイに初めていきました。
初めてなので、新鮮ではしゃぎにはしゃいで・・・
帰国しました。
翌日、会社出社し帰宅すると
リーンリーンと電話があり
歯医者からでした。「船、頂きましたよ!ここにある船よりすごく大きいですよ。」っと
びっくりしました。
あれから1ヶ月半位かけて作ってくれてたと云う訳です。

2012年3月22日木曜日

『今朝の日の出!5時42分』

”海が好き!”なのは、子供の頃に見た
猪苗代湖の景色に魅了された時からです。

”海”に関することについては、卑しいくらい反応が早いです。
海・島・船・南国・スイカ・いか焼き・観葉植物・川

言葉についても
  • 「俺はヨットを持っている。」
  • 「私の実家は海のそば。」
  • 「海の家をやっている。」
  • 「泳ぐのが好き。」・・・・・
すぐに友達になり、ついて行っちゃうんです。(単純発想)
人に言われたからではなく、自分がしたい事をする。

そこには、”プライド”はありません。

実は、「海なんか大嫌いだ!」 と思った事があります。
その後、なが~いトンネル人生に入ってしまったのです。

それから、一度も海に行ってません。

今年から ”海へ復帰したいと思います。”
昨年知り合った友達が、横浜の海の近くに住んでいて、
釣道具も持ってるので 「遊びにおいでよ!」
来月に行きたいと思ってます。
釣をしたかったんです。浜ちゃんみたいに


2012年3月21日水曜日

『そして、店が終わって一時帰国するまで・・・・。』

屋台の”焼き鳥屋”を9月1日までで終わってから
9月中頃に、チェンマイから日本へ帰国予定と決め
それまでゆっくり過ごすことにしました。

日中は、タイ人の友達と遊んだりタイ語の独学をしたり・・・

夕食は、お客様から頂いたブラデーのボトルを片手に        よく行っていたっ店”宇宙堂”
近くの日本料理屋に行って、その店の常連さん達と
いっしょに飲んだりしてました。

私はビールが好きですが、”焼き鳥屋”をしてた時に
売上の為にと、飲み過ぎたビールは
さすがにあまりに飲みたくありませんでした。

そんな時、”バーンロムサイ”で働く友達から電話で
「ねえー、いついつ休みだから
 遊びに行ってもいい?」っと
時々彼女は、休みになるとあの刑務所ように厳しそうな         
ボランティア生活からリフレッシュする為
私が住むナイトバザールにあるホテルへ遊びに来ていたのです。

この友達は、唯一の日本にいた時からの友達で、
友達と云うより”相棒”とい言った方が相応しいように思います。

タイで暮らす(旅行ではありません)日本人達は、皆一人でタイに来て
タイに来てから、知り合った日本人の友達が殆んどです。
だから彼女は私の事を、「日本にいた時からの友達」と
自慢げに人に紹介していたものです。

今思うんですが、その彼女は一度も私の事を
名前で呼んだ事がないように記憶します。
じゃ何て読んでいたか? それは「ねえ!」です。
何をする時でも「ねえ!」「ねえ!」っと

そして、その彼女と初めて出会った頃から
彼女は、とてもインパクトあるおもしろい言葉を言ってくれたのです。
その言葉で、他の人より仲良さが深まった気がします。

彼女はその頃、よくい言ってました。
「ねえ!バーンロムサイに遊びに来てね?いつくるの?
何で来ないの?」っと何度も・・・
でも私は、頭を縦に振りませんでした。
そんな時彼女は、こう言ったのです。
「誘うのが難しい人。」 → (それは気のせいです。)
そんなことを言われたの、初めてのような気がします。
だから今も覚えているのです。
他の友達には、
「自分のしたい事だけしてないで、たまには人の言う事も聞くもんだよ!」っと
言われた事はあります。
もしそれが欠点であれば直さなければならないと思っています。

そして、彼女と部屋で話をしたりパソコンをしたりして過ごしている時
彼女は、「ねえ!今、オナラした?」 (オナラするの見張っていたの?)

そしてこの友達は、なかなかいうことを聞かない私に
言うこと聞く言葉を考えているようでした。(私の母がしたように!)
まだまだ続くおかしな言葉・・・・・・・

2012年3月19日月曜日

『毎年恒例の"新卒者が就職できない!"』

世間では、毎年恒例の”新卒者が就職できない”と
”花粉症の増加”のニュースが今年は目立ちません。
っと思っていたら、地震記念日が過ぎたら

今朝のニュースでやってました。

”新卒者が就職できなのは、かなり深刻な問題である”と
そして昨年の統計で、”就職できた若者の3割が辞めてしまった。”と・・・

それに対し大人は、「もっと若い人が就職できるように政府が環境を整えるべきだ!」っと
言ってるんです。どう思いますか??????

☆これが15年程前、国会で騒いでた”教育問題”政策の結果です。

◎私自身の毎年恒例は、”食欲不振”です。
 今の時期の暖かくなる頃に、”食欲不振”になりやすいのです。
 子供の頃から食が細く、大人になっても変わってません。

子供の頃、食事の時間になるといつも食べたくなくなる事が多く
母はそれをこう表現しました。”わがまま腹”と・・・

<食べたくない現象の分析>
  • 何かに熱中している時(遊びに夢中など・・・)
  • 緊張している時
  • 気分が悪くなる事を言われた時(へそが曲がってしまうのです。)
  • 生活環境が変わった時
子供頃はこんな感じだったと思います。
親戚の家に母と泊まりに行った時、緊張してるせいか?
親戚の人が、「遠慮せずにたくさん食べて!」と
言われれば言われるほど、食べれなかった事を覚えてます。
そして夜中の寝る間際に「母ちゃん腹減った!」と云う始末でした。
いつもそうなので、母は、どこかへ泊まりにいく時は、
菓子パンを買っていったものです。(昔、サンドイッチはありませんでした。)
母の手料理しか食べられなかったのかもしれません。

<対策>
食欲のない自分の体と付き合って長いので
腹が減らせる環境が解ってきました。
  • 早寝早起き
  • 働く事
  • 飲み過ぎない事
  • 働いてない時は、昼前に散歩をする。(動く!)
以前、土・日休みの仕事をしている時、月曜日はいつも痩せてました。
だから、一生働きたいのです。

そしてやってくる急激な食欲!

”気絶するほどは腹減った!” そんな時は、”ほかほか弁当”を3分位で食べきれます。
平均のない自分に疲れます。

”環境に恵まれれれば恵まれるほど、ありがたみを感じない若者!”
今週も頑張って生きましょう!

2012年3月17日土曜日

『バラが好き!』

昨日、バラの苗を買いました。
バラの苗を植えるのは、11月~2月がベストと
解っていたんですがなんとなく買いませんでした。

今まで何度もバラを買って育てたんですが
うまくいかなくて・・・・
挿し木もしたこともあります。
一回は咲かせられるんですが、続きません。
近所で咲いている,元気なバラを観ると羨ましいです。

夢は玄関先にバラのアーチを作ることですが、
自宅ではうまくいかないことがわかりました。
玄関は西日だからです。
一日に4時間程、太陽の日差しに当てなければならず
仕方なく東向きのベランダで育てようと思います。

玄関先にバラのアーチを作る夢は
チェンマイで実現できたらいいな~!

2012年3月16日金曜日

『チェンマイの屋台”焼き鳥屋”最終日!』

忘れもしません。8月末の予定でした。
でもその日の2・3日前に、バーンロムサイでボランティアしている
友達から電話があり 「ねえー!店いつまでなの?」
「31日までだよ。」 と答えました。
「9月1日に、みんなで行きたいから、その日までやってね?」
と言われました。
夜更かしがあんまり好きではないですが、
最後の日でもあり、記念にそうすることにしました。

最終日に予定どうり、ワゴン車に乗って全員でやって来ました。
その日は、忙しいと思いタイ人の友達に手伝ってもらいました。

やきとり・モロキュー・あたりめ・魚の乾きもの・板ワサや焼うどん・・・
最後の頃は、材料を残った分は全部サービスしました。
大した事のない料理なのに、みんな 「おいしい!おいしい!」と
ニコニコ顔で食べてくれました。

”一人で屋台をやる時は、手間のかからない料理を出した方がいいと思います。”
思った以上に大変で、よく言ったものです。
男の子達に 「おい!自分で作れ!」
 お客様に対して、すみませんでした。反省しております。


周りの店はとっくに閉店しているのに、
最終パーティーは夜中まで続きました。

その店だけが ”キャーキャー!キャー!” と大賑わいでした。
みんな楽しそうで、一人一人の笑顔を思い出します。
他の店から椅子を借りても足りず、地べたに座ったりしてました。

彼・彼女達にとっても、青春のよい思い出になっていれば
ありがたく思います。

2012年3月15日木曜日

『チェンマイの宿泊施設と食べ物事情!』

チェンマイには、世界からたくさんの観光客が訪れます。
ヨーロッパの人達は、長期休暇があるらしく
優雅に休日を楽しんでます。

食事は、各国のバラエティーにとんだ食事が
格安で楽しめます。
ステーキ・イタリアン・フランス・中華・インド・日本料理等

日本料理屋は、以前は高くて少なかったですが、
今は数多くあり、タイの方が経営されていて安くなりました。
日本調味料等も、以前は日本から輸入してたらしく
高かったですが、今はタイの食材を使って作れば
安く買えると思います。
焼肉のたれ・マヨネーズ・ゴマ油等

<タイ料理が、安くて美味い!>

タイのラーメン→クイッテオ・バーミナーム・・・
毎日のように食べてました。
鳥のから揚げ→ ”ガイトーン” 道のあちこちで屋台で売ってます。
鶏肉・豚の焼き肉も屋台で売ってます。
屋台で売ってる食べ物は、約20~30BT。市場で買い物→

<宿泊施設はピンキリ>

ゲストハウス→1泊 200BT位(約600円) 
ドミトリー(雑魚寝)→50~100BT(150~300円) 若い人はここで十分です。

ホテル→1泊 1,000BT位(約3,000円)
3ヶ月契約 18,000BT(1ヵ月18,000円)プール付 電気代別途

                                          以上

2012年3月14日水曜日

『タイで生活する日本人女性達の心理!』

目標達成! タイピング1分間で、201回打てるようになりました!3月11日(日)

ある人から聞いた話です。「タイで暮らす20際代の女性が増えていると・・」
果たしてどうでしょうか?

確かに、私がタイへ初めて行った頃は
数人の日本人女性と知り合いになりました。
殆ど20歳代後半の方です。
今もタイに行く女性は、その位の年代だと思います。

20代後半は、30歳を目前にして
自分の人生をよく考え込む時期で・・・・・・
今日は、忙しくてこの辺でしつれいします。

2012年3月13日火曜日

『タイで生活する日本の女性達の心理!』

人の心理状態を読むのが得意なところがあります。
それは、営業の仕事をして培ってきたものとも思いますが、
子供の頃からそんなところがあったと思います。
営業の仕事では、必須なことです。お客様はどんな心理状態か?
  • 『タイで生活する日本の女性達の心理!』ついては、次回にします。

<今日のニュース>から
中学生の子供がいる親御さんへのアンケート調査です。

子供の宿題と夏休みの宿題を手伝うか?(教えるか?)
回答は、教える。
10年前の回答より3倍に増えた!
理由→  ”就職できない新卒者になって欲しくない” 笑


宿題って自分でやる事じゃなかったんですか?
”過保護”
大切に育てるのと、過保護は違うと思います。
過保護すぎると、
自分で考える力が退化するような気がします。

自分で出来なければ、やらなければいいのです。
宿題をやらないと、人に迷惑かけてる訳ではありません。
宿題をやってきたいい子に、優越感を与えてかえって良いことです。

”宿題をやらないと先生に叱られる”と云う事を
よく実感し、自分でやる努力を導かせる方が
良いと思います。

私は子供の頃、”夏休みの友”の宿題を
一度も最後までやった事がありません。
それをそんなに叱られたともないと思います。
叱られたかもしれませんが、たいした問題じゃないので
忘れたのかもしれません。

このアンケートに対し、理由・現象・結果を
明確にした方が面白いと思います。

アンケートをとってそれでどうしたの?
今後どうすればいいの?

そして、戦後の日本を支えた団塊の世代に
アンケートをとってみればいいと思います。

日本の勝ち組企業の社長にも
ソフトバンクの孫正義社長にも

”子供の頃、親に宿題を手伝ってもらいましたか?”っと

2012年3月12日月曜日

「チェンマイのオカマちゃん達!」

ナイトバザールの中にある私がやっていた
屋台の”焼き鳥屋”の周りには、
賑やかにいろんな店がありました。
向かいには、”テーラー”と”ゴーゴーバー”や”カラオケ”
その”焼き鳥屋”の右側は、”洋服屋”や”アクセサリー屋”
みんな働いている人は、もちろんタイ人です。

左側には、”六本木”と云うバーでした。       
そこの店主は、日本に来たことあって日本語が話せます。
でも見かけは、遊び人って感じ!
従業員は男と女。いや一人は”オカマちゃん”です。
名前は、何故か?なかなか思い出せません。
徹底した”おかまちゃん”でした。
よく焼き鳥を買ってくれました。                                                                      
本物の女性の身体です。
性格は,おとなしくやさしかったです。
すごーく静かな女性のようです。

お客で来る男の子達に、「誰か付き合ってみなよ!何事も経験だから・・・」
とよく冗談をいいました。
でも彼女は彼氏と住んでいると言ってました。
でも彼氏は一度も来たことがなく、
やってくるのは、オカマちゃんの友達です。
いつも5・6人でやってきて、隣の ”焼き鳥屋” の
変な日本人に、ウインクをするのでした。
私は、ただ愛想笑いするだけです。

タイでは、オカマさん達は普通の仕事をしている人も
たくさんいます。

”焼き鳥屋”を終わってその後、
その店周辺は大きなテナントビルになってしまいました。

1年後位に ”六本木”で働いていたオカマちゃんに
チェンマイの街中でバッタリ逢い、
「今どうしているの?」と聞くと、
彼女は「あそこで踊っているから、見に来てね!」と
そこは、”ニューハーフショー”をしているようでした。
でも行きませんでした。
今週も頑張って生きましょう!

2012年3月10日土曜日

『ミャンマー国境 ④』

<今日のニュース>

今、ミャンマーでは、ジャパンフェステェバル
”日本企業の展示会”
が行われているようです。          タイ工場→

タイに誘ってくれた、タイメーカーの
社長さんの方が随分と先駆けですね!
社長は、ミャンマーにも既に工場を持っていて、
そこに飛行機で見学へ行った時の写真です。

この写真は、初めてタイに行った時の写真です。
一人でミャンマーに行った時は、カメラは持って 行きませんでした。 (面倒くさいから
)もし持っていたら?長井さんのように・・・・・・  
とは思いません。                                        

一人でミャンマーの国境に行った時、お土産屋を 「安ーい、安ーい!」とショッピング
たばこも安いです。タイより10/1のような気がしたのは気のせいか?

タバコを買おうと思い、ミャンマーの安いタバコとか種類はいろいろある中
一番高いマルボロを選びました。
売り子はラップで包もうとしているので、
Gパンの後ろのポケットからサイフを出し、
お金を払いたばこ受け取りました。

それからまた5時間バスに乗って、チェンマイに帰りました。
1日往復10時間のバスの旅でした。

ホテルに戻り、買ってきたタバコを見ると
なんと!そのタバコは、安い全然違うたばこでした!
いつタバコを差し替えたのか?考えましたが、そんな隙はないと思いました。
これこそミャンマーの方の究極の知恵です。

またミャンマーにいって、”文句を言ってやる” と思ってましたが、また次回にします。

2012年3月9日金曜日

『ミャンマー国境③』

"ミャンマー市場の可能性"(クリック)  今朝のニュース

  • アジア最後の市場だそうです。(政治が安定すれば)

物価がタイより安ーい!!
例えば、チェンマイで売っているCDが100バーツ(¥300)
だとしたら、ミャンマーだと20バーツ(¥60) 
この情報、間違っていたらすみません(あくまでの記憶です。)

ミャンマーの国境が観光地だとすれば、観光地以外では
もっと安ーいんだと思います。
ミャンマーの人にとって、タイは憧れの国だと
思っているかもしれません。
日本の事は、雲の上の上の上の国に見えてるかもしれません。

そして、タイの人は日本に憧れ、
日本に来たい人がたくさんいます。
でも日本が、厳しくて来れないのです。
日本人は、自由にどこでも旅行できますね?

”焼き鳥屋”をやっていた時、タイの生活にどっぷりつかり
日本人の観光客が、雲の上の上の人に思えました。
”お金持ちさんが来た!”

ミャンマーの人は、タイに出稼ぎに来ている人もいます。

2012年3月8日木曜日

『バーンロムサイ との出会い!』

”BANROMSAI” を知ってから時間がかかってます。

焼き鳥屋を始める頃、もうすでに友達は”BANROMSAI” で働いてました。
友達は、「遊びに来て!遊びに来て!」 何度も何度も誘ってくれましたが、
焼き鳥屋の準備に明け暮れ、思った以上に大変な事と
気持ちが向いてなかったのです。

”焼き鳥屋オープン初日”
チェンマイに住む日本人の方々がいらっしゃいました。
チェンマイは小さな町で、口コミでこの”焼き鳥屋”事は、もう噂になっていたのです。

そして”BANROMSAI”で働く、日本の若者達も来てくれました。
時には全員でワゴン車に乗って、時には数人で
小さな店はすぐに貸切状態なりました。
でも全員で来る時は夜中の11時頃です。
”BANROMSAI”の仕事は、子供達が寝静まるまで続くからです。

時には、”BANROMSAI”のリーダーも
一人でふらっと何度か寄ってくれました。

大きな帽子をかぶり笑顔で、「こんばんわ!」っと・・・
でも一人で来た時の顔色をよく見ると、”何かに悩んでいる”と悟りました。

まだ始めたての”BANROMSAI”であれだけ数人のスタッフが
働いているのですから、問題山積みだと思いました。
その悩みから ”元気づける” のが自分の仕事だと思いました。

ここで、 ”母に自由で大らかに育てられた” 
自分の性格が大活躍をするのです。
このへんで続き・・・します。

2012年3月5日月曜日

『長井健司さんを偲んで!』

長井健次さんの作った映像がここをクリックして見れます。
You Tube ”長井健司さんとバーンロムサイ”      ”バーンロムサイの子供たちの食事風景”

当時のチェンマイの様子も
よく伺えます。
私は、”BANROMSAI” 
によく通い 
草むしりしたり、
畑作りを手伝ったり、
バラを植えたりしました。

当時バンロムサイに
長井さんが取材に
来ていたとは、全然解りませんでした。

2012年3月4日日曜日

『ミャンマー国境②』

実はミャンマーに行ったのは、その時で2回目でした。
1回目は、初めてタイに行った時に誘われた人に
連れて行かれたのです。(チェンマイ~ミャンマーまでのバスの時間は5時間の間違いでした。ゴメンナサイ)


その時は飛行機で行き、誘ってくれた方が経営する工場を見学に行ったのです。
初めてミャンマーの風景を見て ”日本の昔に似ている”と感じました。
水溜りがあったり・どぶ池があったりで、子供の頃遊んだ風景のようでした。

ミャンマーについて書いていると、
”ジャーナリスト長井健司さん” の事件を思い出します。
もう5年も経ったんですね。

”長井健司さんが、ミャンマーで銃撃されて遺体で帰国された” 事は
日本国中のニュースになりました。

このブログを書く為、
長井さんの事を調べていると、長井さんは、私がちょくちょく行っていた
BANROMSAI へ取材に行っていたようです。 
(クリックしてください)

そのバンロムサイを、日本に帰国してる時
私は、テレビで2度見ました。
  1. バンロムサイで働く友達から「テレビにでるから見てね!」
  2. 偶然
今頃わかりました。1の番組は長井健司さんが作った事を・・・・続く



2012年3月2日金曜日

『ソフトバンクが1,000億円の投資増額!」』

ごめんんさい!期待はずれで・・・その日の気分でテーマが変わります。
今朝のニュース

◆まだまだ進化する携帯電話
 近い将来予想  もっと身体と身近になり、
 パスポート等が組み込まれ、身分証明書のようになると思ってます。

 電車・飛行機に乗る時も携帯電話で  ”ピッ” と認識OK!

2000年の頃、孫正義さんは携帯電話事業にのり出すと思ってました。

◆コマーシャルに思う”ソフトバンクの戦略”
 出演者  ワンちゃん・外国の方・年の離れた夫婦
  • ペットを飼う人は、ゆとりがある。
  • これから日本に、外国の方が増える。 (日本は、優秀な留学生を求めている。)
    そして優秀な外国人に、日本人が雇われる。
  • 益々加速する年齢差?
日本の社会現象をうまくとらえてる。
世界一目指せ!