2012年12月31日月曜日

『 チェンマイ の 大晦日!』

「バンロムサイでの年越しでは日本料理が食べれるよ!」
と誘われ
「行こうかな~~~~~?」と考えていると

友達が「バンロムサイでお酒は禁止だよ!」と
言われて迷っちゃっていました。

「でもね!バンロムサイの近所で " かえるパーティー " をやっているから
そこへ行けば飲めるよ!☆お酒☆」

" かえるパーティー " ってなんだろう?と思いました。
きっと日本に帰国される方がいて
送別会のようなパーティーなんだろうな?と思いました。

一人でお正月を迎えるのなんだし・・・・・・・・・!
ず~~~~~と前からバンロムサイに誘われていたので
行ってみようと思いました。
かえるパーティーではたくさんの人々と
お酒を飲み交わしました。

大晦日の夜中にバンロムサイに戻り
バンロムサイで働くスタッフが
日本料理を作り始めました。
ワイワイガヤガヤと何を作ってくれるんだろう?と
キッチンを覗くと乾麺を茹でてました。
年越しそばではなく年越しうどんのようでした。

私はうどんが好きで・・・
それも冷たいうどんではなく煮込みうどんが好物です。
久々の煮込みうどんに喉が鳴りどんぶり三杯程食べたように思います。
 
腹一杯になってワンちゃんと眠ってしまった。
バンロムサイの大晦日

2012年12月30日日曜日

「チェンマイの年越し!」

今年も明日まで・・・・・・

タイのチェンマイで年越しをしたことが二回あります。
一回目は、このブログで紹介した
モン族村に宿泊した時と同時期です。

その年は、" 屋台の焼き鳥屋 " を終えての年と記憶します。
12月10日前後に日本を発ち

再びチェンマイへ⇒⇒⇒⇒⇒

チェンマイに着き友達に電話すると
「ねえ~!一緒に働く友達が帰省するから一緒に行かない?」

その頃、チェンマイ生活で何をするか?
何をしたいか?未定で暇だったので
「ううん、いいよ!」と返事して                            モン族村の豚達

行ったのがモン族村・・・・・・・・・
凄~~~~~~~い凄~~~~~~~い山奥で
水道・ガス・電気もなく・・・・

思いもしなかったその原始的体験は
忘れることができません。


 モン族村のお正月は12月23日?
 
モン族村での夕食風景
左側が友達で右側がモン族出身の娘さん
真中が日本の男の子
私はカップヌードルしか食べれませんでした。
 
モン族村宿泊から帰って何日か経ってから
今度はその友達から電話がありました。
「バンロムサイで年越ししない?泊りにおいでよ?」 
                                               
  
バンロムサイに何度も誘われてたのに
行く気になれず行った事がありませんでした。

「う~~~~~~~ん?」 と考えてると
友達が、「日本料理パーティーするんだよ!」

日本料理が食べれる?


日本料理が食べたい!と反応しました。

2012年12月21日金曜日

『猪苗代湖の夢!』

今朝、見た夢です。
昨夜は、1分で寝付いたって感じ!

爆睡して3時頃目覚め、2度寝したら
猪苗代湖のそばに部屋を借りた夢を見ました。

すぐ上の兄が遊びに来て
「兄ちゃんここで釣りもし放題だよ!」 と
話しかけると兄も嬉しそうに 「そうだないい所だ此処は!」

☆湖の水がきれいで天国のようでした。

どうしてこんな夢を見たんだろう?と
目が覚めてから思いました。

きっと!" 海が好き! " になった原点だからと思いました。

小学生の頃、初めて見た猪苗代湖は
自分にとって " 一目ぼれ " と云うか

感動と衝撃でした!
 
バラが咲きました!
これからも爽やかに楽しく!

2012年12月20日木曜日

『バンコクのカオサン通り!』

           

" The Beach " を観たのは、初回の3か月間のチェンマイ生活をする前の事でした。
前回のブログに間違いを書いてしまい申し訳ありません・・・・・

事件の翌々日私は検察庁へ向かいました。
普通ならこんなことは泣き寝入りで済ます事だと思います。

一日中!よ~~~~~く考え悩みました。
このまま泣き寝入りしたら・・・・・・・・・・・・

一生~~~~~~~~!後悔すると思いました。
何故~~~~~~~?あの時、解決する行動をとらなかったのか?


私はこの問題を前向きに考え、乗り越えようと思いました。
このまま逃げたり忘れようとしたりすると、
次の人生のステップに良い影響を与えないと思ったからです。

人生には誰しも、悩みや困難な問題はつきものであり
常にその問題や悩みを解決することによって
その後の人生の歩み方の知恵になると思いました。

悩みにを解決しないと " 爽やかに楽しく!"  はありえません!

そして悩みや問題は自分の考え方次第で必ず解決できます。
難しく考えるのではなく・・・・・・・・・・
単純に簡単に考えるのです。自分がができろ事を・・・・簡単に!

たとえば~~~~~~お金がない⇒⇒⇒人より長く働く

嘘ではなく自分の心に素直に・・・・・・!

ものごとは悪く考えると悪くなり
良く考えるとそのとおりなる!

 
夜のカオサン通り行った事あります。


 
ザ・ビーチ"

" The Beach " の始まりのシーンはバンコクのカオサンにあるゲストハウスのようでした。
カオサンに安いゲストハウスがたくさんあり、世界の若者がたくさん集まっています。

2012年12月15日土曜日

「南イタリアの旅!」

=今朝の旅サラダ=

イタリアには行った事がなく
これからの人生でも行かないと思います。
人生での行動は限りがあり
行く場所も限りがあると思います。

人の付き合いにも限りがあり
全ての人と親しく付き合うのも限りがあると思います。

特に親しくなるのは " 縁" があるからだと思います。

チェンマイへ行ったのも " 縁"
海が好きになったのも " 縁"

私は昔から信念と云うかこだわりがあり
ある事を言った言葉に反応がなかったば場合
" この人には縁がない " と思いこむところがありました。
今もそうかな~~~~~~~~~~~~?

その言葉は重みのあるものではなく、ただの日常会話
素直に「うん!」と反応があったら・・・
" 縁がある" と感じるかも~~~~~?


今年、知り合った20才の未来の料理家は
今イタリアへ勉強旅行に行っています。
今頃イタリアでどうしているんだろう?

帰国したらクリスマスケーキ作ってくれるんだって!
本当かな~~~~~?



シチリア島
きれいなところですね!


 

2012年12月12日水曜日

『 " ザ・ビーチ " との出会い!』

タイの島の映画です。
私は、この映画を偶然に一人で観ました。

初めてタイへ行った頃の事です。
私は、タイに行くと決め会社を辞めた頃
大変な悩みといううか事件に巻き込まれたのです。
私は被害者になりました。

挫折でした。
凄い悩みでした。
しかし予定どうりタイへ旅立ちました。
3か月のチェンマイ生活・・・
タイ語の勉強していても
その悩みが思い浮かんで
心ここにいない・・・・
日本の悩みni
心が行ってしまい・・・

3か月後日本に戻り警察に行きました。
でも警察はきっと解決してくれないと思いました。
そして思ったように警察では話だけで
時間の無駄で・・・・
腹が立ち大きな声で「警察は犯罪者の味方か~~~~~~?」
と叫びました。

そして私は悔しく " 負けてたまるか! " と
検察庁へ一人で向かいました "告訴 " する為に・・・
検察庁の帰りに観た映画です。







ザ・ビーチ予告編

何故?こんな経験をさせるのか?何の為に・・・

2012年12月10日月曜日

『人々とのふれあい!』

先日、地震があった日の夜に夢を見ました。
チェンマイで出会ったボランティアしている友人の夢でした。
東北の地震のボランティアをしていると聞いてたからです。

翌朝、どうぢているのか?メールしてみました。

相変わらず忙しいと・・・・・
そしてご主人が入院され
今は自宅で療養しているので食事作りに忙しいと・・・

そして今週にサイパンへ行くと・・・

ホラね?ちゃんと自分に楽しみを与えながら
ボランティアに貢献しているんです。

彼女は海が好きだからサイパンに行くんだ!と思いました。

「夢を見た」とメールすると

「どんな夢?」

「一緒に楽しく遊んでいる夢」と返信すると・・

「またチェンマイで一緒に飲もう!」 だって・・・

人は人生でいろんな人々と知り合います。
でも特に親しくなる人はごく僅かな人です。

その僅かな " 人との出会いには意味がある! " と言った友達がいます。

何故?ボランティアをされる方と特に親しくなったか?

彼女も " 海が好き! " であり
いくつになっても子供心があり自分に素直!だからだと思います。

そして彼女の特徴は、電話での声がすご~~~~~~くやさしいんです。
「もしもし・・・・・・・」 と、とても今でもやさしい声!
彼女に私は何年も逢っていません。

人は逢わなければ逢わないほど・・・・
時間が経てば経つほど、その逢わない人を忘れます。

でもどんなに逢わなくとも、深~~~~~~いふれあいの
思い出があればいつでも近く感じ・・・忘れません!

先日のタイラーメン売りのイベントとで彼女に逢うことはできませんでした。
彼女は物販会場にいて時間がなくて逢うkとができませんでした。



思い出の曲 
 
そして彼女のご主人は、よ~~~~~くテレビによく出る人だと
出会いから、ず~~~~とのちに知りました。
 

2012年12月7日金曜日

「爽やかに楽しく!」

今日の気温12℃、さわやかな天気ですね!
気持ちい~~~~~~~~い!

チェンマイの自然を思い出したりします。

チェンマイの友達の実家に連れて行かれた時の
正月の帰省に着いて行ったこと

チェンマイから車で2時間位・・・地名は忘れました。
でも方角は覚えているからチェンマイへ行けば思い出します。
その田舎には小川が流れていて水がキラキラと光り
魚が自由に泳ぐのが見えました。

すごく水がきれいでした。

その実家に泊めてもらったその夜の
夕食は焼肉パーティーをしました。
肉は私が市場でたくさん買いました。

友達の家族はたくさんいたからです。
弟が4人と両親で自分とと反対だな~~~!思いました。

その夜とても楽しくて酔っ払って
いつの間にか早くに寝てしまいました。

翌朝、暗いうちから目覚めてしまい
薄明かりになると一人で散歩に出掛けました。

日の出がきれいで樹木と自然が光ってました。
この記憶忘れません。

あの小川で水遊びしたり釣りもしてみたい!と

人は爽やかに楽しみながら生きていると
人にも優しくなれると思います。

自分が楽しくなかったら・・・人の事まで考えられないのでは?
遊びからさまざまな人と触れ合いながら
人間味を深めて人々と仲良く・・・!
いい感じ~~~~~~!
 
もう少しで咲きそうです。
自然は心を癒してくれます

2012年12月5日水曜日

『 イルミネーション!』


何だかんだ言っても日本は平和ですね!
 
この時期になるとちゃんとイルミネーションを飾り
 大地震のことなど忘れたようです。
昨夜の出来事!
ビックリ~~~~~~~~!
笑えるね~~~~~~~~~!


 
エレベーターを降りて撮ったエルミネーション
でも上のエルミネーションも撮ろうかな?と
エレベーターにまた乗り上に行き
 
このイルミネーションを一人で撮ろうとしていると
 誰かが近ずく感じがして・・・
「あれ~~~~~~~~~?」
10月に初めて会った
16才の女の子
 
「わ~~~~~~~~~お!」 と
このイルミネーションの前で
二人は抱き合いました! 
 
 
「もう帰ろうと思ったんだけど戻って来たんだよ!」
と私が言うと
「運命ですね!」と
16才の女の子は言いました。
果たして・・・・・・・・・・・・・・!
またドラマ?
 
この子に初めて会った時の別れの時間になると
自分に近づき
「今度いつ会うことができますか?」
 
とても素直な子であり
気配りに優れていて
とても珍しいと
イメージに残ってました。
 
 
昨夜の晩酌もおでん!
 

2012年12月3日月曜日

「好きな人と食べたい!すき焼き!」

だから " すき焼き "って言うんだって?

=今朝のモコズキッチン=

もこみちく~~~ん初めてだね?

好きな人なんて言ったの~~~~~?

好きな人なんて言わないで!合わないよ!
爽やかなもこみちくんには、その言葉!

でもテレくさそうに言ってたね!

もこみちくんて好きな人いるのかな?
どうだろう?

モテそうだけど・・・・・・・・?

☆きっと楽しみは先にとっておいた方が
 より楽しいと思っているのかな~~~~~~?

う~~~~んその考え少し同感?

きっと、とびきりの好きな人が出来ると思うよ!
もこみちくんなら・・!


料理も上手いしね!⇒ ⇒        MOCO’ キッチン
料理が上手い人っていいね! 
でも好みにうるさいのかな? 
さっき "手作りおでん " 作っちゃった。
今夜は帰宅が遅いと思うし・・寒いしね!
おいしいよ!牛筋も入ってるんだ!
 
今度、もこみちくんが作った" 牛肉とごぼうのすき焼き " 作ってみよかな☆

 

2012年12月2日日曜日

『 ボランティアとの出会い!続編 ④ 』

チェンマイでボランティア活動されてる方に
そんなにお世話した覚えはあまりありませんが・・・・・

どうなふれあいをしていたか?

自分とその方とは3年ぐらいの間
日本で会う事はなくいつもチェンマイでした。

私が帰国してる時には
彼女はチェンマイにいる事もあり
そんな時その方は日本にメールくれる時もありました。
「今日も一人でプールで過ごしました。」

そして、「〇〇〇さんのいないチェンマイは寂しい・・・・!」
ってな感じでした。

なに~~~~~少女みたいなこと思ってんだろう?
「こんなバカいなくたって淋しくないでしょう?」と
返したように記憶します。

彼女が帰国されていて自分がチェンマイに
いる時には 「チェンマイよりメリークリスマス!」
とメールした事もありました。

その年はチェンマイで年越した思い出があります。

チェンマイに慣れた頃、その方の部屋(兼用事務所)探しに
おつきあいした事があります。

そしてある日プールで、彼女はこんな事を言ってきました。
「行きたいとこあるの!あそこのホテルのビアガーデンに
一緒に行って欲しいの?あとあそこにも・・・・?あそこと・・・?」 と

一緒に遊んで欲しいと・・・・・
そんなこと 「お安い御用!」
遊び相手なら「お安い御用!」
男の遊び場カラオケでもどこでも連れていけますよ!

どんな人だって楽しい事をしながら生きた方が
仕事もうまくいくし、人生もうまくいくと思います。

自分が楽しくないと人の事まで考えられないと思うからです。
自分が幸せじゃないと、人の幸せにまで考えられないのでは・・・・・?


 
ちょうど今の時期12月の半ばからチェンマイへと飛び立った事!
 タイ航空の紫のマークみると切なくなります。
 
 
バラのつぼみが少し膨らんできました。


2012年11月30日金曜日

『 ボランティアとの出会い!続編 ③ 』

ボランティアを運営されてるその方は
どんな活動をしていたか?

とて~~~~も忙しい方です。
困ってる人々に対して身を粉にして働いてました。

タイの奥地の村へ行って子供の世話と
教育支援しているようでした。

ある日ホテルのロビーにいると
凄い人がいました。

日本の若者達が30人位集まっているので
何事だ!と思いきやボランティア代表者の彼女が
みんなの前で何か説明をしていました。

私は、それを眺めて説明が終わると
「どうしたんですか?」 と質問すると
彼女は「明日からこの学生さん達と一緒に
一週間位山に行ってくるんです。」

そして、「今度、良かったら一緒にいきませんか?」
「う~~~~ん!」 と考えると

でもそこではお酒は飲めないんですけど・・・・」
「え~~~と~~~ちょっと遠慮しときます。すみません!」
と私は答えました。

◇まだまだ未熟である自分!

☆彼女は今、東北震災後の手助けに力を入れているようです。
 
こんな村へ行ったんでしょうか?
懐かしいモン族村
 
 
 
チェンマイに住んでた時のホテルの部屋からの景色
このホテルのプールでよく遊びました。

彼女はいつも私を人に紹介する時
「チェンマイでお世話になった人なの!」
そして、「チェンマイで屋台の焼き鳥屋をやってた人なの!」

「とてもおもしろい人なのよ!」 って感じ~~~~~~~~!

2012年11月29日木曜日

『 ボランティアとの出会い!続編 ② 』

ボランティアをしている彼女を
私は近寄りがたい感じで・・・

先生のような風貌で真面目そうで説教されそうで・・・・

プールで会った時、会ってしまった!と思っちゃいました。

でも話しをしていくうちに彼女は、
「私も海が好きなのよ!泳ぎも好きでこうして毎日泳いでいるの!」
と言いました。
そして日本では海のそばに住み
夏は海とプールで毎日泳いでいると言ってました。

私は、彼女のイメージが一気に変わりました。

" やさしい人だ !" と感じました。
それから毎日のようにプールで一緒に過ごし
いろ~~~~~~んな話しをしました。

どんな人生を歩んできたことなど・・・・・

彼女は私と全然違うエリート経歴でした。

☆一流大学を卒業しテレビ局勤務、その後独立!
 その後、人の役に立ちたい!と " ボランティア活動! "
 更に " やさしい人だ !" と感じました。

何故、テレビ局を辞めたか?
テレビ局の仕事・・・・・虚しいと
会議がくだらなく虚しく感じ辞めてしまったと言ってました。

その部分私と似てました。
そのまま勤めていればお金がたくさん貯まったのに・・・

" しあわせはお金ではない !"

これぞ~~~~~~! " エゴからエヴァへ! " と進化された!

" エゴからエヴァ " となる人々が多くなれば・・
楽しい世の中になるのにね?

 
ある子に 「タイラーメン売りを手伝ってきたんだよ!」
と言ったら 「私も行きたかった!」って
「毎年あるから来年行こうか?」
「うん!」 と彼女は嬉しそうに返事をしました。
 
彼女は先月20才になったばかりで
今イタリア料理の勉強中です。

☆あ!その彼女に明日会えるんだっけ?



2012年11月28日水曜日

『 ボランティアとの出会い!続編 ① 』

ボランティア施設で働き始めた友達に
食事会に誘われて 「何料理なの?食事会?」
「タイ料理だよ!」 と答えられて、行く気はまったくありませんでした。

でも行ったんです。
彼女は、気のない私をど?うなだめて連れて行く事になったのか?
忘れました。

そのボランティア食事会は
チェンマイのどっかのレストランで行れたと思います。
場所?忘れました。
食事会には50人位の若者がいたと記憶します。

立食パーティーだったのかも?
私は、場違いの気持ちがあり身を小さくしおとなしくてました。
すると誘ってくれた彼女がこう言いました。
「あの人だよ!あなたと同じホテルに滞在してる人は・・・・」 と
その時、初めてそのボラティアの代表者に出会いました。

「初めまして!」 と自己紹介と挨拶・・・
そん時はそれだけでした。

真面目そうな風貌のボラティアの代表者に
説教されそうな雰囲気になりました。

「仕事しないでこんなとこでなにしてんの?」 と
言われそうな感じで・・・・・

ある日、ホテルで・・・・・たぶんホテルのプールだと思います。
 ボラティアの代表者の彼女に再会しました。
「先日はどうも!」 と・・・・
 
このタイラーメン!
美味かったな~~~~~!
もう一杯食べたかった!

2012年11月27日火曜日

『続 ・ ボランティアとの出会い!』

ボランティア施設で働き始めた友達に
ボランティアの食事会に誘われて・・
私はこう答えました。

「場違いな感じだから行かないよ。」
すると誘った彼女は
「本当に誘うの難しいひと!」 と言いました。

利益の為に売上を上げる
営業の仕事を長~~~くやっていた
自分にとって、そう感じました。

今こうしてブログ書きながら
営業をしていた頃を振り返ると・・・・・・
私は、いつの間にか
" エゴ " の固まりになってしまっていたのでは? と感じます。

男ばかりの営業の中で売上を上げる事
簡単ではありませんでした。

私は、その仕事を始めた頃
悔しい思いをたくさんしました。

「女になんかできるもんか!」 と陰口を叩かれたり・・・
何度帰宅の電車の中で泣いたことか・・

☆でも、その悔しさが力となり
 「今にみていろ!」 と必死に仕事しました。

その後、仕事も思いどうりになっていき
自分に与えた目標も達成していき
いつの間にか馬鹿になっていき
天狗になっていたようです。

そしてその頃、まだ生きていた親友に
「金儲けの事ばかり考えているんだね!」
その言葉に私は傷つき寒々しさを感じ
これからの人生を考えるようになりました。

= ここで自分の分析 =

  • 悔しい思いをした方が力がでる
  • 自分の望みがうまくいくと "馬鹿 " になる
どう思いますか?
 
彼女達チェンマイから来たんだって!
久々に話したタイ語

2012年11月26日月曜日

『 ボランティアとの出会い!』

タイのチェンマイに住み始めた頃
日本の友達がボラティア施設で働く事になりました。

ある日彼女はこう誘ってきました。
「今度さ~~!ボランティアの集まりがあって
食事会があるから一緒に行こう?」

私はその頃、ボランティアに対してあまり興味もなく
チェンマイに来る前までしていた仕事は
会社に利益を上げる為の営業の仕事をしていたので
" ボランティア "  にあまりピンとしませんでした。

働き盛りの頃は、仕事の事で頭が一杯で
話題も仕事ばかりで・・・・

親友との会話にも仕事の話しをしたりすると・・

◇親友に、こう言われちゃいました。
 「金儲けの事ばかり考えてるんだね?」
 「以前(若い頃)はそうじゃなかった。もっと楽しい話しをしてくれたよ!」

私は、その言葉に少し傷つきました。
そして、このままこの生き方で良いのか?と考え始めました。
仕事にも虚しさを感じ始め・・・・

この頃から本を読みながら
これからの生き方の参考になるような
アイデアが浮かぶような言葉がないか? と
探し始め考え始めました。

 

タイ航空のマークを久々に見て
切なさが蘇りました。
 

2012年11月24日土曜日

『イカがだ~~~~い好き!』



=今朝の旅サラダ=

" 肉厚で美味、旬のソデイカ !"

イカが大好きなんですけど知りませんでした。
こんな大~~~きなソデイカが沖縄で獲れるとは・・・・・・
 
沖縄の国際通りにある市場が懐かしい!
市場の上には食堂がたくさんあり、
市場で買った食材を持ち込み
食堂で料理してもらい
よく食べた思い出があります。
                                           
                                                

 18キロもあるんだって!
ビックリ!
 
 
市場の上の食道
 
イカステーキ
美味そう!
 
イカ料理ならなんでも大好き!
 
今年の7月にブログで紹介した " 沖縄の話し!" は
来年の夏に持ち越します。
気が向いたら・・・
 
意外な展開となった沖縄の旅!
友達たくさんできた旅!
 
いつも自分は普通じゃなくドラマみたいになっちゃう~~~~!
なんで~~~~~~~~!
  
そろそろ沖縄に行きたいな~~~~~~~~!

2012年11月23日金曜日

『タイラーメン売り復活!』

タイのラーメンはタイ語で " クイッティオ " と言います。
チェンマイで暮らしていた頃、毎日のように食べてました。


日本のラーメンに似たバミナーム ⇒⇒⇒⇒
と云うのもあります。
麺が黄色で具の肉がベーコンみたいで
丸いかまぼこに似た物が入ってました。

タイラーメン売りの客引き応援は
初めてではなく毎年10月に手伝ってました。

今回は久々の友情応援でした。

アジアの子供達に教育支援をする
ボランテェア団体のイベントです。

私は、このボランテェア団体の代表者と
チェンマイで知り合いました。

日本にいたら知り合えなかった
チェンマイでの数々のたくさんの人々・・・・・・

★人は人生の中でいろんな人々と出会います。
 その中でも特に親しく仲良くなる人は限られます。

理由はいろいろ・・・・
何故このボランティアしている友人とと親しくなったか?

彼女は5才位年上、でも" 海が好き! " と聞かされました。

 
「ラーメン好き!ここに並んで下さ~~~~~い!」
「旨いよ~~~~!タイのラーメン!」
「早く食べないと売り切れちゃうよ!」
 
約500食売れました。

◆そろそろタイの話しに戻しましょう!

2012年11月20日火曜日

『 有名テレビ局、エリートアナウンサーの挫折!』

び~~~~~~~~~~~~っくり!しました。
いつもテレビのニュースに出ていたアナウンサーが
痴漢で逮捕です。

ひど~~~~~~い話しです。
人生は何があるか解りません。
順調にいっていた人生の筈が・・・・・・・・?

魔がさしたと云うかストレスが溜まっていた!
と思います。

つい9月のニュースで
 " 孤独な若者が急増! " " 過干渉 " の
ニュースを伝えてくれたのがこのアナウンサーでした。

ニュースを伝える側のアナウンサーが
ニュースの犯人になるとは・・・・?

自分では思いもしなかった事だと思います。

大なり小なり誰にでもあるかもしれない
予期せぬ挫折!

このエリートアナウンサーはきっと子供の頃から
あまり遊ばず一生懸命勉強してきたと思います。
張りつめに張りつめて来た人生に
こんな形で切れてしまった。

もし子供の頃から遊びながら
大人になる為の人生の練習をしていたら・・・・・?

そして " 男の性 " には気の毒に感じます。

男は女が好きであり不特定多数の女性が
好きな" 男の性 " 良いようでもあり悪いようでもあり

女性の性はその反対!
あくまでも人によってです。
女性だってこっちがだめなら
こっちに乗り換える女性もいますね?
良いようでもあり悪いようでもあり

この事に関して今も一人の自分は、超わがままで難しいんです。

挫折を味わったアナウンサーどうやって
ここから立ち直るのか?それが肝心です。

自分がこのアナウンサーに慰めの言葉を
言うとしたら?・・・


 
冬のバラが咲きそうです!
自分の人生は、こんな?い~~~い感じ~~~!
エリートじゃなくったって丈夫で爽やかに生きれれば・・・
行きつくとこはみんな一緒!
 
 
母によく言われた "人を~~~訳じゃない! "
この一言で決まり!


2012年11月16日金曜日

「傷つく世代!」

 

真面目がゆえに嵌ってしまう洗脳教育。
 

オウム関係に嵌った学生も真面目で優秀なエリート大学生です。
 
果たして親にやりたい事をさせてもらえずに
育った子供達は大人になって社会でうまくやっていけるか?
 
★難しく考えると難しそうです。
 
自由と云う羽根をもぎ取られた小鳥が
籠の中で育てられ視野の狭~~~~い生活から
広~~~~い空と社会に飛び立とうしたしたら・・・・・・・・?
 
その子達のする行動と言葉は、みていると・・・・・
自分の首を締め付けるようで見るに見かねます。
 
悩みだらけの人生に向かってしまうのでは?と心配です。
 
籠の中で育てられた子達は想像力にかけ、
言われたことしかやらないとよく人から聞きます。
 
果たして日本の未来は?
 
★簡単に考えると・・・・
 


しかし若ければ若いほど取り返しができます。
 
自由に楽しく生きて、人の心を労われるうような
人生に挽回するには・・・・
 
そういう生き方をしている人へと近つき
その人の感性を学ぶと云うか盗むこと。
 
 
簡単です。真似する だけですから・・・
 
 
 
今の季節にピッタリのような曲です。
 
 
人生には常に悩みはつきもので、シンシアの悩みは
あいつの事を信じることでは・・・?簡単です。信じるだけですから・・・
そして素直に気持ちを伝える事!
 
物事は良く考えると良くなり、悪く考えると悪くなりそう・・・・・
 
な~~~んちゃって!楽しく生きよう!み~~~なで人生は一度だけ!


2012年11月14日水曜日

『核家族戦略!』

どっかの国の戦略では?

強い国になれないようにするには?
腑抜け若者作り、根性のない若者が多ければ
日本は、二度と世界一のレベルにはのし上がれない!

今のところその戦略はうまくいっているようです。
その戦略は手っ取り早く教育機関に忍び込んだのでは?

真面目部類の親達は勉強さえしていれば
良い人生がおくれると教わり、先生の言う事は正しいと・・・

でも自分はこんな勉強、自分の人生には関係ないと
この戦略には嵌らなかったようです。

なぜ子供を締め付ける考えになったか?

今、社会が乱れ行儀の悪い若者が目立ち
世間でも言われたたり,テレビでもよく見るし
それを知っている真面目部類の親達は、

「うちの子は違う!私が正しく育てたのだから・・・」

外部に触れさせないようにして、知恵をつけさせないようにしてるのでは?

これちょっと違うと思います。

子供は年齢と共に行動範囲を広め
いろんな友達と触れ合い、たくさんの経験をしながら
大人になる練習をするものだと思います。

真面目部類の勉強した親達は、
順調に結婚し子供は一人か二人
金銭的にも昔よりゆとりがあり
「優秀な子供に育てるぞ!」と

家族の事だけ考え、子供が少ない分失敗は許されず
視野の狭~~~~~い教育に走り
自由を与えないで勉強さえしていれば良い人生がおくれる!と
塾に通わせただ厳しくしつけ・・・

その結果その子供達は想像力がなく人を思いやれない
根性のない若者に・・・・・

◆日本の将来が心配です。

今、時代は変わりました。
" 勉強さえしていれば良い人生がおくれる!"

これ違います。

今の時代は大学を卒業しても就職はできず
やっと就職しても一年以内で30%が辞めてしまったり
会社の業績が悪いと早目のリストラ・・・
今の重要に合わない大きな会社の相次ぐ倒産!

子供の頃から遊んでいればこんな挫折どうってことないのに・・!

 
タイラーメン売りをてつだいました。


2012年11月12日月曜日

「核家族戦略に嵌った親達!」

過干渉の事を知ってから若者達に聞いてみました。

「どんな時に怒られるの?」
ある子は 「試験の成績が学年で5番以内に入らなかった時・・」

ギャ~~~~!じゃあ自分が今時の若者だったら・・・?

成績が悪いと正座させられ懇々と怒られるそうです。

凄~~~~~~く怖いそうです。震えるくらい・・・・・
季節に関わらず外に締め出されたり・・・

そしてその子はこう言いました。
「私は、必ず留学しその国に就職し母のいる日本には2度と帰らない!」
とそうきっぱり言いました。
「頑張れよ!」 と答えました。

ある子は
「暴力もされるし、アルバイトのスケジュールを見せろって言うんです。」
わたしは、「見せればいいじゃないか?適当に書いて・・・」

その子は「嫌ですよ。気持ち悪いですよ。そこまで親に管理されるなんで!
大学生ですよ。私は・・」

家庭によって厳しさは様々で、親が真面目部類で
優秀な親ほど厳しいようです。

親は一生懸命勉強した方々のようです。

「うちの子は違う!私が正しく育てたのだから・・・・!」
そして外部に触れさせまいと自由を与えないのでは?
でもその真面目部類の親達はある戦略に嵌ってしまったのです。

" 核家族戦略! "

どっかの国の戦略では?
強い日本になって欲しくない戦略です。

子供は楽しく笑顔で元気であれば良い!と思います。
ストレスとプレッシャーだらけの子育てでは可哀想過ぎます。

★いずれ人々が行くところはみな同じだからです。

子供はどこの国でも可愛いですね!
 
自分と同世代の親達が子育てに懸命になっている頃
" 人は人!自分は自分! " と 天国に一番近い島へ一人旅

2012年11月10日土曜日

「愛情に飢えた若者が急増!」

" 過干渉 " とは " 過保護 "
のいき過ぎで親のエゴの押し付けです。

親に深く愛されていれば・・・
親の愛情を感じる事ができていれば
孤独や淋しさはあまりなく
ふしだらな事も考えずにすむのに・・・

ネットで知り合った彼と付き合う子に
私はこう問いかけました「それは好きになろうとしてるだけだよ。」

それに対し「そうですよ。好きになろうとして好きになったんです。」
それに対し私は、「じゃあこれから本当に好きな人が現れたらどうするの?」
「好きになる人は突然目の前に現れるんだよ!」
それに対し彼女は答えませんでした。

どんな出会いでも人それぞれですが
純愛とはほど遠いように思います。

自分はその年頃、それについて人に話した事もなく
恥ずかしいし、知られたくないし、汚れたくなくて・・

なぜ人前で誰も聞いてないのに
軽々しく恋人の話しをするのか?

自分に自信がないのかも・・・・
もし本当に好きな人ができた時、

その事が知られたら・・・軽い女だと思われるとは思わないんでしょうか?

◆" 心の貧しい日本になってしまった !" と悲しく思います。

このニュースは9月頃やってました。

その少し前にある子から親が厳しいと云う話しを聞き
でもその時は深くは考えませんでした。

自分は親に自由一杯に育てられたので
親に縛られる事態を今までの人生で知りえませんでした。

少し経ってからその話しの内容を考えました。

そして " もしや・・・・・・??????"
凄~~~~~~く可哀想に思いました。

人よりも自由な自分だったら地獄に感じます。

そして出来るなら、手を差し伸べたいと
日々その問題を考えていました。

どうすれば解決できるか?


 
海が好きなこのバカなら出来そうです。

2012年11月8日木曜日

『 " 過干渉 " のニュース!』

ある日、若い女性二人がこんな会話をしていました。
「私さ~来週デートなんだ!」
「へ~~~!どこで知り合ったんですか?」
「それがさ~・・・・・・・・・・・」
言いにくそうです。
「ネットで知り合ったんだ。」
ぎゃ~~~~~~~~~きた~~~!
と私は思い先日のニュースを思い出しました。
" かわいい子には旅をさせろ! " の反対です。

そのニュースのタイトルは" 孤独な若者が急増!"

親が子供に対し、全ての自由を奪い
「あれはいけません。これはいけません。勉強しなさい。早く帰って来なさい。」
子供の楽しみを全て奪い・・・・
洋服も母親が決め・アルバイトもさせない・出かける時は車で送り迎え・・・
そして性の部分には、特に監視・・・
これは立派な虐待であり女の子に多いそうです。
これは親の愛情ではなく、自分の子供を私物化し、
自分の人形のように扱い・・・
子供は友達もできず孤独になり淋しく
年頃になった彼女達はいネットで男達と知り合い
自分を相手にしてくれるなら誰でもいい~~~~~~~~!と
そしてこれに向けた犯罪も増えていて
大変困った社会現象であるとテレビで見ました。

子供の人権を尊重しないのは虐待です!
愛を感じない彼女達を自分がタイトルをつけるとしたら
" 愛に飢えた若者が急増 !"


2012年11月7日水曜日

「かわいい子には旅をさせろ!」

 
母と甥と3人で行った阿武隈川で
 
この甥っ子は、今20才一年程前まで引籠もりしていましたが
半年位前から自立をし通信大学で学んでます。

何故そんな行動力ができたか?
自分なりに考えた事と思います。

昨年の夏に父の葬儀で久々に会った甥っこは
じ~~~~~~~~~っと私を見つめてました。

自由に楽しそうに活き活きと生きている!
自分の母と同年代の自分の叔母さんは全然違う!と

甥っこの目にそう映ったのではないかと?と思います。

そしてそれが励みと力になり勇気が出たのでは・・・・!

今自分の住まいの近くで一人暮らしをしているようです。

この甥は私の作った料理が大好きでした。
お正月に作った茶わん蒸しも喜んで食べてくれました。

その茶わん蒸し小鉢ではなくどんぶりの茶わん蒸しでした。


★自分は人を元気付けるのが得意かもしれません。

ある女の子にこんな事を言われました。
「私、〇〇さんの顔を見ると元気になれる?」

凄~~~~~~い褒め言葉だと思います。

そして、「自由に楽しく生きて来たんだろうな?」
「私も〇〇さんみたいになりたい!」

こんな年のとり方がしたい!と

すぐ上の兄はこの甥の話しになると
「かわいい子には旅をさせろ!って言うもんな!」
と言ってました。

親は子供を自由に苦労させるのは愛情です。
子離れできず締め付けるのは愛情ではないと思います。

2012年11月6日火曜日

「宇宙エネルギー時代の幕開け!」

すぐ上の兄はこうも聞いて きました。
「今朝、兄貴の言った事どう思う?」

それは今朝のニュースで太陽光発電の問題を
取り上げていました。
太陽光発電はコストがかかり
一般家庭に普及させるのは難しいと・・・・

それに対し上の上の上の兄は
「やはり昔からある物の方がいいな!多少のリスクは仕方がない・・・」
そんな事を言ったように思います。

それに対しすぐ上の兄は、
「あの兄貴は一流企業に勤めていたので、一杯電気を使っていたんだ!」

大きな会社は、たくさん電気を使う必要がある。

それに対し私は、
「あの兄貴はパソコン出回り始めた時、受け入れなかったよね?
でも今はパソコン使っているよね?それと一緒!」

時代はあとには戻らず常に進化するもので・・・

「今、太陽光発電は高いけれども、必ず人類はそれを解決する。」

原発は、自然を破壊するもので環境破壊は良くない。
宇宙の自然を利用すればそのエネルギーは無限です。

私は、そう兄にはっきりと伝えました。

いろんな話しを新幹線の中でしている時
すぐ上の兄は少し寂しそうな顔をしていました。

 
すぐ上の兄は、「話がしたい!」 と私を呼んでいます。
 
営業をして培った豊富な話題と
豊富な経験からの励みの言葉が必要そうです。
 
 
自然は限られてますが
宇宙は無限です!
 
そして人類は、" エヴァ " に向かわなければ・・・・!
 

2012年11月3日土曜日

「鈍行列車の旅情!」

自分はどんな物事に対しても
的確に答える事が得意です。
 
兄貴に 「〇〇の事どう思う?」 と聞かれ
私は、昨夜の姪っ子の言ってた事を思い出しました。
姪っ子が、禿のおじさんの話しをした時
そのおじさんと一緒になると直感しました。
 
姪っ子の話しの中でそのおじさんはやさしそうでした。
姪っ子の理想の条件ではないけれど・・・
きっとそのおじさんは、様々な人生の苦労を重ね
挫折の経験もあり・・・・包容力もあると思い・・・・・
 
きっと姪っ子を大切に愛してくれると思いました。
 
 新幹線の 中で兄に私は言いました。
 
「いつも一人で帰省する時は
{鈍行列車に乗るんだよ。その方が
本も読めるし、電車も空いてるし、景色も観れるし、考え事もでしるし、
電車賃も安いし・・・・・・・・・・・・・・・・」
 
これ " 一石五鳥 " であり " みんなが乗らないから乗る!"
 
兄は 「鈍行の方が旅情があるしな!」 と言いました。
 
 兄が大病をしてから
私はパニック状態になり情緒不安定になり
誰かに慰めて欲しいと思っていると
「またちょっと顔が小さくなったね!」 って
女の子に言われちゃいました。
いつまでも一人でいるのは・・・・・・? 
  
 
 
好きな人ができたら真っ先に素直に着いて行って欲しい!
愛してくれる人を信じること!

2012年11月1日木曜日

「鈍行列車!」

 
夏に帰省した帰りに新幹線で帰ってきました。
 
私はいつもなら、鈍行列車に乗ります。
母が生きている時は、母が早く帰って欲しいと解っていたので
帰省する時は、必ず会社が終わるとっそのまま新幹線に飛び乗って
母の待つ実家へ急いで帰ってました。
 
でも今は母はいなくて早く帰る必要もなく
今の自分の状況と身分をわきまえて
帰省する時はいつも鈍行を利用します。
 
今自分は、新幹線利用する状況ではないと考えててます。
 贅沢だからです。
 
夏に帰省した時の帰りはそのまま仕事場へ行こうと
思っていたので今回は新幹線で帰る事にしてました。
兄は、「俺も一緒に帰る」 と言い
その新幹線の中で兄は
こう問いかけてきました。
「〇〇の事どう思う?」
 
姪っ子の事を心配しているようです。
 
 
 

2012年10月30日火曜日

『セクシャルバイオレッド!』

 
また一人亡くなりました。
 
兄と同じ年・・・
 
兄が大病であることを知ってから一週間経ちました。
 
今、兄はどんな気持ちでいるか・・・・・?
  
夏に帰省した時の事を思い出します。
 
兄は若い頃とても不良で親不孝でした。
 
でも年を重ねることで変わってきました。
 
とても優しい男になりました。
 
やさしいよりもどうしようもない " よすけ " 
父に似て、どうしようもない " お人好し "
 
そして父に似て子供が好きで
姪っ子甥っ子にも好かれてました。
男友達にも好かれる男です。
 
 
 
夏に帰省した時の夜、姪っ子が
恋人の悩みを話してました。
「別れようと思うんだ!」 
辛そうでした。
 
1年ほど前から付き合っていたようですが
彼氏があまり姪の事を好きではないような事を
話してました。
 
私はこの年頃にはよくある悩みだと思って聞いてました。
「いつ呼び出されるかもわからず・・・・・」
 
若い男は一般的に十人並みの女性なら
別に誰でもよく他に少しかわいい女性が現れると
すぐに気が移ってしまいがちです。
 
男は女性と付き合った女性が多いほど" はくがつき " ますが
女性はそ反対です。
 
気まぐれにその彼は姪を誘うようでした。
姪を愛してないと思いました。
 
でもやさしい兄は姪の話しを親身になって聞いてました。 
姪っ子は「昨夜は禿げたおじさんと食事して来たんだ。」
 
その人はやさしい人で40才位の人だと言ってました。
 
その後兄は姪っ子と出掛けました。
夜遅くに姪っ子を慰める為に・・・・・・・・
 
やさしい兄貴生きてくれ~~~~~~~!
 
私は兄に子供のころ苛められましたが
そのことを鍛えられたと判断してます。
だから男社会で営業ができたと思います
 
 
 
私は若い頃から、恋の悩みを自分から人には話しませんでした。
そして恋に悩んだ時は、「別れよう!」 と言うのではなく
難しく考えるのではなく簡単に相手に聞いてみればいいだけのことです。
相手と向き合い話す事です。


2012年10月28日日曜日

「元気焼き!」

今年の夏に父の新盆で帰省した時に作った料理です。
これは3日目の夕食でした。
 
兄達は、「へ~~~~~~~凄いなこれは旨そう~~~だ!」
 
写真あまりうまそうじゃないですけど・・・・
 
すぐ上の兄は、「もっと早く力を発揮してくれたらいいのに・・・」
と言いました。
1日目から作って欲しかったと言っているのです。
 
私は母が生きている頃、家族が集まった時は
いつも手料理をみんなに作りました。
母が可哀想だからです。
 
家族が、美味しい~~~~!と言って食べれば
母もしあわせそうな顔をするからです。
 
姪っ子や甥っ子達も 「〇〇〇ちゃんの料理はみんな美味しいね~~~!」
と喜んでくれました。
 
そしてすぐ上の兄は今年の夏帰省した時、こんな事を言いました。
 
★「俺、ここにあと何回これるかな?」
 
兄はそんな弱気な事を考えてるんだ!と思いました。
 
私は、勘が鋭いところがあり・・・・・・・・・・
 
そしてその勘が当たってしまい
先週の頭にすぐ上の兄が大病になってしまいました。
 
私はそれを聞いた直後、心が乱れ悲しみました。
でも今は、少し落ち着きブログを書くことができます。
 
私は兄を救いたいと思います。
出来るかできないか?
 
結果解ります。
 
諦める事を知らない自分ですから・・・・・・・・