2012年5月31日木曜日

『"新藤兼人"映画監督の死去に思う事!』

また一人戦争を知っている方が亡くなられました。

知りませんでした。
私が、とても感動した映画を原作された人物だったとは・・・・・

その映画は 、野口英世の生涯を描いたもので
その映画が公開される前から知っていました。

野口英世と母の愛について
とても興味を魅かれました。

◆私はとて母親が大好きで
親子の愛情に心惹かれる傾向があります。


恋愛の愛より親子の愛を
描いた物語に涙することが多いです。

"遠き落日" この映画にとても泣きました。
野口英世は、福島県の猪苗代町に生まれ
貧しい家に育ち・・・・・・

恵まれない環境から勉強をしていく姿
そこには母親の大きな愛情に支えられ
そしてその母親と別れ、世界を助ける人物へと
成長していく人生を描いてます。

野口英世の母親は、「勉強しなさい!」と言わなかったと思います。

◆野口英世が偉くなって
母親と再会するシーンには号泣しました。

私の母が何気なく言ったあの言葉を思い出します。

"この世で一番悲しい事は、親と子が離れて暮らすこと"

恵まれない環境の方が頑張れる事もあるんです。

新藤兼人映画監督は、「生き残ったからこそ強く行きたい!」と・・

 見て下さい⇒                               「 遠き落日 」

私が子供を持たない人生になったのは
こんな悲しみをしたくないしたくないからかもしれません。

愛する人ができると悲しい事が多いかも・・・?
親子の愛はもっと深~~~~~~いです。

もし?子供がいたら愛し過ぎて心配でしんぱいで・・・・・
自分の母を愛し過ぎて心配で可哀想だったように・・・

だったら最初からいない方がいいかも・・・・って?
なあ~~~んちゃって!



2012年5月30日水曜日

『花々が好きだった父!』

当時の実家の周りには、四季折々の花々が
咲き乱れてました。
久々に 「ただいま~~!」 と帰ると
花々に囲まれた母の笑顔が迎えてくれました。

それがその頃のイメージです。
どんな事があっても怒った顔をしない母と父でした。

★それが私の心に一番 "グサッ"  とくるんです。

父は、動物・植物が好きで小鳥も飼ってました。
そして庭に植えたたくさんの花々・・・・
今も実家に 藤の花など咲いてます。
その昔父は、野菜作りも上手かったです。

◆その頃の自分を、今振り返ると下降トレンドでした。
その2・3年後に底がやってきました。
その底は2度目の底です。
1度目の底は、中学3年の時です。
3度目の底は2年前です。

2度目の底を助けてくれたのが父です。
父に助けを求めたのです。

「とうちゃん、ここから出して!自由して!助けて!」
父は真剣に望みを叶えてくれました。
お金で・・・・・・・・・・・・・・

★そして一言、「一人になって、幸せになれるんだな?」
「うん!」
いつも父は一言です。
何度も聞く必要などありません。
自分の子供を信じているから・・・

 充実した人生と自分なりのしあわせをつかめ!

父の言葉をそう理解しました。

"日本の底"

★1度目の底は、2003年
2番底は、2025年頃と私は考えます。

2003年の不景気の時、
日本は危機を乗り越え再び上昇へ
と思っていたら・・・
 2003年より悪い現状です。

 この現状はまだまだ続くと予想します。
2025年説は、自分で考えた独自の計算方法です。

                                                                                    
も~~~~し?当たったらアナリストと呼んで下さい。
な~~~んちゃって!




2012年5月29日火曜日

「母とドライブの思い出!」

★"好きな人しか乗せない!" ラングレーで
道がある限りどこまでもいくぞ!
もちろん海がメインです。
この頃は "海と車が好き!" と言ってました。
◆あちこち スッ飛んじゃってどっか行ちゃって
帰って来ない娘を母は、「暴れ馬が紐切れちゃったみたいだ!」
と表現しました。
父は、「オレげのジャジャ馬娘は、言う事を聞かなくてしょうがねえんだ!」
鼻の下をを長~~~くのばして近所の人に話していました。

普通、夫婦というのはどっちかが甘やかして
どちらかが絞め役だと思うんですが、
母と父はこんな感じでした。               

もちろん母をよくドライブに
連れて行きました。
福島にはたくさん観光名所があります。

母 はとても出かけるのが好きで
よく行ったドライブコースは
やはり猪苗代湖です。
海を好きになった原点です。

新平線(新潟と平を結ぶ道路)を走ると途中にあるのが
"野口英世館" その先には "五色沼"
5色に光る沼すごくきれいです。                  

母は助手席で、ほんのりとしあわせそうです。
結構、親孝行もたくさんしてるんです。

もし?"好きな人しか乗せない!"人ができたら
きっとここに行くかもしれません。



猪苗代湖をグルーっと廻り、
途中で食事休憩
帰路は、三森峠を走って帰ることが多かったです。

三森峠は道がグニャグニャと曲がった山道で、
キッキー、キッキーとブレーキしながら運転しました。


母と近くの植物園に行った時に撮った写真が
母の遺影写真になりました。          
父が選びました。

2012年5月28日月曜日

『父が買ってくれた"愛のラングレー"!』


人によってですが、年齢と共に欲しい物が変わります。
その頃は、ブーメラン族をしてました。 
ブーメラン族とは、一度実家を離れてからまた実家で生活することだそうです。

20代前半はやはり車・・・・・・!
車を運転して海に行きた~~~~~~~~~い!

車は3台乗り換えました。
  • 1台目⇒  トヨタ・マークⅡ          
  • 2台目⇒  日産・ラングレー
  • 3台目⇒  トヨタ・トレノ
マークⅡは、中古を自分で買いました。
気に入って乗っていたんですが、
やっぱ!新車に乗りたいな~~~!と

当時の若者に流行ってた車は、"スカイライン"です。
みんなが乗っていた"スカイライン"は、
あまり気に入りませんでした。

そんな時、新発売されたのが  "ラングレー" です。
"スカイライン" のミニ版として、
"ラングレーは、限定販売でかわいいかたち
天井の窓も気に入りました。

◆キャッチコピーは、"好きな人しか乗せない!" 
心惹かれるこの言葉!欲しくなりました"愛のラングレー"

                                        
ある日、父に言いました「父ちゃん車買って!」
すると父は、「なんぼだ?」 
"いくらするんだ?"聞いてるんです。

◆私は、「100万、う~~んと130万円位!」

そして翌日、ルンルンで買いに行きました。

トヨタの "トレノ" は自分で買いました。

遊び人が乗るような車ですね!

現代の若者は、車が欲しくんないと
ある人から聞いたんですが本当ですか?
そういえば、一度も聞いたことがありません。

生まれた時からなんでもあって、
荷が欲しいか解らないのでは?

◆余計な御世話でした。

昔の車のコマーシャルで、
昔の若者像が見えます。

★ご覧になって観てください。 ケンとメリーのスカイライン

◆恋の季節でした。

今、アメリカではブーメラン族が多いそうです。
大学行く為、家をでて就職せずに実家にもどり両親と暮らしてるようです。

日本では、両親とベッタリですね?


2012年5月26日土曜日

『父と猪苗代湖で遊んだ思い出!』

初めて猪苗代湖を見たのは小学生の頃のバス旅行です。
まだ海を見た事もなく、その景色は
突然、目に飛び込んできました。

「うわー!きれいだなー!ひろいな~~~~!すごいな~~~~!」と
青いさわやかなきれーーーーーーーーーーーーいな景色に大大感激です! その感激は今でも忘れません。
そして、その感情は "海が好きだ!" と実感しました。

猪苗代湖を初めて見てから、当然また行きたいと思い父へ頼みました。
すぐに父は連れて行ってくれました。
駅から磐越西線に乗って、猪苗代湖に行きました。

◆父と猪苗代湖に行ったのは小学5年の時です。

 猪苗代湖の志田浜で水がきれいだな~~~~と
 水の中の小魚を見ていると・・・
 聞き覚えのある声が聞こえてきました。

「お~~いここにもいるぞ!」 
あれ~~いつも自分をいじめるあいつの声・・・・・
その声の方に近づくと・・・
小魚をすくっているあんちゃん達の姿の中に

「あ! "いこー" だ!おっとさん "いこー" がいるよ!」
"いこー" とは私のすぐ上の兄の事です。

◆名前は、"いくお" と云うんですが毎日いじめられていたので
"いこー" 呼び捨てしていたんです。
"いこー" 達は、中学1年生で柔道部の合宿に来ていたのでした。
だからこの記憶は間違いありません。

◆私は、まだプールでしか泳いだ事がなくうれしくて、うれしくて・・・・
父は、「肩に摑まっていろよ!」と言って
グイグイと泳いでくれました。
「おっとさん、どれくらい泳げるの?」と言うと
父は、「ずーっとだ。」と答えました。
「ずーっとって、あの岸くらいまで?」

◆父は、「もっとだ!ずーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっとだ!」
「なんで~~~~~!どこで練習したの?」
「兵隊でだ!泳げないなんて言ってられない・・・・・」

厳しい訓練だったと思います。
生きるか?死ぬか!の訓練です。
パッパカパッパッパーとラッパで起こされ
一日中、ヘトヘトになる訓練の事も聞かされました

★日本の為に戦う訓練です。
恐ろしい残酷な戦争を "そういう時代だった。" と
 処理してしまうのは、はかな過ぎます。




日本人は、やっぱ!おしんこです。
父はよく 「野菜をたくさん食べなさい。」と言ってました。
今夜は、手作りおしんこで晩酌です。

2012年5月24日木曜日

『東京スカイツリーが世界一!幸福度21位?』

日本の技術力は優秀ですね。

むか~~~~~~~^し戦争で焼け野原にされたのに
日本の発展は世界一レベルになったのは、すご~~い!と思います。
でもそのピークは過去の事と感じます。

"幸福度は、世界36ヶ国のうち21位" だそうです。

なんで~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!
このランキング本当ですか?

世界一は、金持ちを意味してる気がしますが、
幸福度は、ランキングの半分以下で、"心の貧しさ" 意味してるような気がします。

◆そしてその21位の日本の幸福度の内容は、2位が教育だそうです。
"教育がしあわせ"  と云う意味ですか?
楽しみだ!これからの10年後が・・・・・・・・・レベル高くなってるんですか?


私は、人間にとって最も大切なのは "エネルギーと自然" と考えます。
昨年の震災で、更に思いました。
お金かけるとこのポイントが・・・・・・?
教育しなくたって人間は死にません。
でも、食べ物を作るには "エネルギーと自然" 必要ですね!


世界一、世界一、世界一、世界一、と誇張し過ぎでは・・・・・・・・・
世界一を意識して 中国のよりも高くする為、
途中で工事変更したようですね?

中国の人は気分悪いんでは・・・・?

もし?自分が他国の人なら?

「戦争で、コテンパンにやっつけたのに 日本は生意気だ!」
と思う人いるかもしれません。
9.11のようにならないように・・・

だってあの戦争は、世界一になって欲しくなくて
攻めてきたんですよね?アメリカさん

日本は、世界からうらやましいと思われてるんです。

海外に行って感じました。

★謙虚に生きましょう!
なんかつまらない・・・日本の考え方のレベル下がった感じで・・・


★父が戦った沖縄にて

2012年5月22日火曜日

『沖縄の戦士だった父の頬づり!』

よくある親が子供へする愛情表現です。

父も同じように、4人兄がいる末っ子に生まれた娘へ
頬づりをしてチュッチュっと・・・・・・・・・しつこいくらい
私は、「おっとさん!痛い、痛いよ~!」と言ってたのを覚えてます。
髭がゴシゴシと痛かったのです。
私達兄弟は父を「おっとさん!」と呼んでたんです。
「おっとさん!」は「父ちゃん!」より丁寧な呼び方です。
大きな家柄でしか使わないと思います。ここに家庭の複雑さが隠れています。

 

父は、子供達がまだ小さい頃
寝かせつかせる為、よく昔話をしてくれました。
「むかしむかしあるところに、おじいさんとおばあさんがいて
おじいさんは芝刈りに・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」といった感じで
"桃太郎や"浦島太郎"、花咲かじいさん"などの昔話

◆そして戦争の話を何回もしてくれました。
 私は生まれた時から戦争の恐ろしい話しを
 ず~~~~~~~~~~~~っと聞いてたんです。

◆今になって思うんですが、その戦争の話しで
 自分の生き方に影響があったんでは・・・・・・?と

”人はいつかは絶対に死ぬ!”
だから悔いなく生きなければならないと・・・・
そして今の平和な時代を有難く生きなければならないと・・・

父は左小指の下に銃弾の傷跡がありました。
その銃弾は腕を突き抜け、
肘の手前まで埋め込まれたようです。

怖かったと思います。
戦争末期、戦友は目の前で死に
死者の山だらけ・・・・そんな風景見た事ありあますか?
怖いですよ!
アメリカ軍に見つかれば殺されるんですから
父は孤独に逃げるしかなかったと思います。

◆父は気が小さい方だと思います。
 父は、子供達に勉強して欲しいと思っていたようですが
 言えないんです「勉強しろ!」と
 子供がいやがる事をかわいそうで言えないんです。
 それを私は知ってました。
  ★ふきは今が旬!子供の頃は食べれなかったけど今は好きです。
  こんな料理をよく父に作ってあげました。



2012年5月19日土曜日

『沖縄返還40年 "父は沖縄の戦士でした!"』

私は母が大好きで、母の事ばかりを思っていましたが
"沖縄返還40年" で、父の事を思い出しています。

父は昨年7月に亡くなりました。
昨年、父の葬儀に向かう電車の中で
せめて今日だけは父の事を考えようと、父の人生を振り返りました。

"何一つ自分の思い通りにならなかった人生!" 
と思いました。子供達も父の望むようには・・・・・。
そう考えると、母の人生より可哀想な気がします。
泣けました。

◆父は、すご~~~~~~~い子煩悩でした。
自分の子供だけではなく、近所の子供も孫も・・・
とてもかわいがってました。

子供の前では、いつもやさしい笑顔をします。
そして、「お小遣い欲しいのか?」と
お人好し過ぎです。
父は子供がうれしがる子供の笑顔が好きなんだと思います。

それは、沖縄で怖い戦争の体験があるからでは・・・と思います。
戦争での話しを、小さい頃から聞いてました。

◆沖縄戦争と父の思い出を少しお伝えしたいと思います。
主に、父の子煩悩ぶりと優しすぎるところなど・・・

◆女の子は父に似ると言いますが、
自分が父に似てるかどうか?確認しながら・・・

沖縄戦争1           沖縄戦争2                              
↑                         ↑
★この映像の中に父がいるかもしれません。

              命あればこそ!

沖縄戦争は全滅でほとんどの人が亡くなりました。
生きて帰れた父は奇跡的と言っても大げさではありません。





2012年5月16日水曜日

『"お人好しの国" 日本!』

タイが "微笑みのの国" であれば、
日本は、"お人好しの国" と云えます。

"お人好しの国" は良くも悪くもとれます。
みなさん "どうぞ!どうぞ!" と遠慮がち
そして並ぶのが好きです。
よ~~く並んでるのを見かけます。
みんな右習いです。
みんなが持ってると私も持つ
◆"お人好し国" その①
15年程前、教育問題を国会で騒いだ結果
現在は、学力低下を問題にしてます。
 なんで~~~?変じゃないですか?教育問題に取り組んでいたのに・・・・・・・・

◆ 学力低下の解決策として
優秀なインドの学生を呼んでくるそうです。
日本の学力の点数を上げる為だと想像します。
学力低下したっていいじゃないですか?元気であれば・・・・

果たしてその結果は
恵まれた日本の若者とハングリーな外国の若者と・・・・・・
どうなりますか?

動・植物で例をあげると
外国から入ってきた動・植物は強くくて
日本古来からある動・植物は負けてしまうのです。
"たんぽぽ" が例に上げられます。
昔からある日本の"たんぽぽ" はお人好しで
縄張りを外来たんぽぽに譲ってるようです。

◆日本企業はグローバル化を目指し外国へ進出してます。
日本国内だけでは売り上げアップが見込めないられないからだと思います。
それは良い対策だと思います。

あ~~~~~~~そうか~~~~~?
日本国は、日本国内でのグローバル化を目指してるんだ。

将来人間が目指す事は、国境のない "人間みな兄弟" ですね?

乗っ取られると心配しなくていいですね!

がんばれ日本!そして恵まれない国を助けるんだ!
お人好しの国ですから・・・

2012年5月15日火曜日

『タイと日本の文化の違い!②』

"北と南の文化の違い" のように
 日本であれば東北地方と沖縄・九州では少し違うように思います。
一般的に東北の人は少し暗い感じで少し無口な感じ・・・(人によってです。)
南の人はあまり人見知りせず、明るく話す感じ・・・・・・・・
でも沖縄時間があって少し時間に・・・・・・・

しかし自分は東北人ですが、誰とでも話す変な性格です。

    "タイでビックリした事"

◆歯が痛いと言って泣いた女の子は "ヌン" と言います。
 タイでは人の名前が長く、名前はみんなニックネームで呼びます。
 "ヌン" とはタイ語で数字の1の事です。
 だから 「一番バカの意味だな!」 と冗談言ってました。

そして歯医者に着いて "ヌン"は診察室に入って行きました。
診察室からは、医者と"ヌン"の話し声が聞こえてきました。
「あの人何人?」 "ヌン"はいろいろ説明してました。

2・30分経つ頃、看護婦さんが診察室から出てきて
泣く格好をして見せ、診察室に入る手招きしてました。

私は診察室に入り、"ヌン"を見ると 「歯を抜かれた・・・・」と
涙で顔がグシャグシャでした。

そして診察台の横には "歯が5本ポロポロと置いてありました"
今、思い出すと4・5本です。2本ではないと思います。

◆日本では、一回の診察で歯を5本は抜かないと思います。
 何故?この件ですご~~~~~~く考えました。
 歯医者が考えた事か? "ヌン" が頼んだのか?
 "ヌン" は、歯医者にかかったのはこの時が初めてです。
 お金がないから・・・

日本にいますか?お金がなくて歯医者に行けない人?
あまりいないと思います。

当然、診察料は私が支払いました。

★その頃、チェンマイに暮らす日本女性の友達ができてました。
 彼女達は私にこんな忠告をしました。
 「"ヌン"と仲良くしちゃ駄目・・・・・・・だから」

★でもいいんです。"お人好しで"
★騙すより騙される方が、悪くないです。

お人好しは、日本人の伝統ある気質です。

これが、自分の考え方です。


2012年5月14日月曜日

『タイと日本の文化の違い!』

って云うか "ビックリしたこと!"
たくさんある中から・・・・・・・・ちょっとだけ

チェンマイに住み始めの頃は
まだタイに慣れず 「なんで~~~~~~~~~~~~~?」 って事がありました。

◆ある夜、カラオケに遊びに行った時、
ドリンク係りの女の子が、
「私に日本語を教えて下さい。」と話しかけてきました。
なんか?猿っぽい顔をした小柄な女の子でした。
まだ、無垢な感じなので 「いいよ!」と・・・

翌日、さっそくやって来ました。
真面目ぶった洋服を着て、
ホテルのロビーに14時頃
昨夜、待ち合わせした時間に来ました。
その頃の日課は、タイ語学校に通っていて
午前中は昼までタイ語学校で勉強してました。

昼食はクラスメートと学校の裏の食堂で食べてました。
この食堂は、とても美味いです。
タイ料理が苦手でも、美味いメニューがたくさんありました。

クラスメートと話しながらゆっくり食べて
ホテルに戻るのが午後2時頃です。

◆教え方は、単純に自分が習ってるタイ語と同じで
"ここ、そこ、あそこ" とか  "これ、どれ、それ"
この言葉たくさんつかいますよね?
「これ、ください。」とか「ここ、どこ?」・・・・・・・・・・・・・・ね?

そのタイの女の子は知ってる日本語がありました。
それは、「ちょっと!」この日本語よ~~~~~~~~く使いませんか?

◆ある日女の子は、歯が痛いと泣いていました。

◆私は、歯が弱く子供の頃歯が痛くてよ~~く泣いてました。
そんな時、母は夜の診療時間外でも歯医者に連れて行ってくれました。
 「大人になっても歯が痛くて泣いたら恥ずかしいな~~!」と子供の頃から思ってました。

他の病気は自然治癒力で治る可能性がありますが
虫歯は治療が必要だと知っていたので、

歯を痛がる女の子を歯医者に連れて行く事にしました。

★そして歯医者で、ビックリーーーーーーーーーーーーーーーーー!
はるな愛さんが車で帰るところを見ました。

2012年5月10日木曜日

「タイフェスティバル!2012 SP⑤』

チェンマイに初めて行った時、
誘ってくれた社長さんが、
「今夜の食事はタイ料理と日本料理と言うのでは、顔が全然違いますよ!」

いったいどんな顔をしたのでしよう?
子供の頃から食べ慣れてる日本料理と
初めて食べたタイ料理にまだ慣れてなかったのです。
今は当時より慣れてます。
タイのラーメン "クオッティオ" 毎日のように食べてました。

お好みで砂糖や酢・唐辛子やナムプラーを入れます。
砂糖を入れると味に深みが出ます。
唐辛子をたくさん入れてタイの醤油 "ナムプラー"を
入れて食べるのが好きでした。
パクチー今も入れません。
はじめは"ナムプラー"も苦手でした。

そして野菜もお好みでサービスです。
自分の好きなモヤシや白菜・・・・・・・・・

◆そして初めて連れられて行った "カラオケ"

昔、カラオケを歌い過ぎてあまり歌いたくないんです。
何でもやり過ぎると少し飽きませんか・・・・・?

◆日本のカラオケを想像して、「カラオケは、別にあまり・・・行きたいとは・・」
,

でも他の同業者の男性達が許してくれず
ほぼ強制的に連れて行かされたのです。男が行く"カラオケ"

◆"カラオケ"の店に入るとビックリ!
タイの若い女性達がズラーーーーーーーーーと30人位並んでたんです。

★きっと社長は、"この人のこのルックスには、こう云う遊び場に来るのも不自然ではない!"

2012年5月9日水曜日

『タイフェスティバル!2012 SP④』

"チェンマイの友達"

知り合ったばかりの駐在員の友達の
部屋へ毎晩のように遊びに行きました。
彼は無口でやさしい人でした。
彼には、当時恋人がいて、
その彼女とも仲良くしました。

私が友達になる対象は、老若男女関係ないですが、
友達になる確率は男が多いです。

男と友達になる理由?
  • 性格さっぱりしている。
  • 女性より知識が違う。
  • 考え過ぎない。(疑わない)
  • 即決力がある。
  • 話題が面白い。(話題が合う)
それ以上に女性にも長所はたくさんあります。
私の母のように・・・・・・・・・・・・・・・
母のように大らかなでやさしい人なら・・・・・
あくまでも人によってです。
もちろん女性と男性の短所と長所があるから
世の中は成り立つのでは?と思います。

子供の頃に感じた "男の遊びのの方が面白い!"そのままです。
もちろん人によってです。   差別はしてません。平等に見た結果です。
女と男、長所と短所はいろいろですが、
女性の短所は、被害妄想と感じています。
私の性格上は男の方が合うように思います。

会ったばかりの人と食事を共にするのは、
女性にはあまりないことだと思います。

"チェンマイの親友"

一人は、日本の男の子
二人目は、タイの男の子
今回はタイの男の子について

◆彼は名前が”ゲン”と言います。
”ゲン”は日本語の意味は、元気の ”元”
タイ語では、ゲンは上手いの意味です。
ゲンは、何でも上手いと云う事にしておきます。

◆ゲンと初めて出会ったのは、日本料理屋でした。
駐在員さん達とよく行ってました。
住んでいたホテルから歩いて5分位の所に
その店はありました。
赤いTシャツで、「いらっしいませ!」と
みんな日本語が上手く、ニコニコと笑顔いっぱいで
5人位がアルバイトしてました。

その5人の中にゲンがいました。
出会った時、ゲンは20歳でした。

その日本料理屋には、
チェンマイへ行ったばかりの頃、よくい行ってました。
まだチェンマイの事を知らなかったので
行動範囲が狭い頃の事です。
駐在員達ともよく行きました。
そしてカラオケにも・・・・・・・・・・・
カラオケは日本のカラオケとは違います。

2012年5月8日火曜日

『タイフェスティバル!スペシャル③』

ゲストハウスに宿泊された人々については、
個人情報を考慮して次回にします。

"CHIANGMAIに行ったばかりの頃"

★タイに住んでみたい方へ・・・・・・・・・・想像してみて下さい。

◆チェンマイに行ったばかりで、右も左も解らず
 知人もそんなにいない、まだタイ語学校に行く前のことです。
 ず~~~~~~~~~~~~~~~~~っと続く暇ーーーーーー!
 自由が好きなのに、自由過ぎる時間・・・・・

その頃、住んでいたホテルに日本人はあまり見かけませんでした。
いちいち考えないと話せないタイ語
日本人が恋しくて恋しくて・・・・そして淋しくて・・・・・・・・・・トホホ
★ こんな風に感じるのは、人によってです。

◆ある日の夕方、ホテルのロビーの椅子に腰掛けていると・・・・
 懐かしい我がふるさとの方言の声が聴こえてきました。
 大好きな ”西田敏行” さんのような話し方・・・・・・
 日本の男性が二人話しながらロビーに入って来て
 フロントに鍵を受け取っていました。

私は跳びつくようにスタスタと駆け寄り話しかけました。
「こんにちは!日本の方ですね?」
その日本の男の方二人は、珍しそうな顔をして
「はい!」 と・・・・・・・


◆それからはいつものパターンで話しまくり・・・・・・・・・・・・・・・・
 そして最後に「すみません。一緒に遊んで下さい!」
 「いいですよ!」
知らない人に声をかけるのは、自分にとって珍しい事ではありません

さっそく!
「今夜、どこ行くんですか?」
「タイ料理屋へ職場のメンバーと行くんです。」
「タイ料理?・・・・・・・・・・・・」 私はふと考えました。
あまりタイ料理を自分ではすすんでは食べないからです。
でも、せっかくみつけた日本の方・・・・

「いっしょに行ってもいいですか?」
「いいですよ!」


彼らは、日本企業で働く駐在員さんだったのです。

















2012年5月7日月曜日

「タイフェスティバル!スペシャル②』

マイペンライ!THAILAND”

◆マイペンライとは、「気にしない。」とか大らかな心(何でもOK!)を表した意味です。

”あまり細かいことはクヨクヨしないで気楽に人生を生きよう!”
ってな感じかな~~~~~~~~?

◆何事にもこだわる自分には、ピッタリの国だと思いました。
 それで ”マイペンライ!” を学びにタイへ行ったのでした。

何事にもこだわるのは子供の頃から・・・
末っ子だとどうしても妥協できないのでしょうか?
たとえば食べ物、
◆子供の頃、母の手料理しか食べれなかった・・・
 住まい・人・服・・・・・などの好みにうるさいんです。
 その我ままの為、人より苦労するように思います。
 疲れますこの性格・・・・・・・・・・

◆でも "はまる" と大切にします。
  母に "はまって" おっかけしたように・・・・・
 "海" と "タイ" にはまったように・・・・
 誰でもそうですか?これでいいのか・・・・?
 解りませ~~~~~~~~ん。



◆チェンマイのピン川のそばにある"ゲストハウ"で
タイ人の友達が働いています。
そこには日本のバックパッカー達(若者)が
たくさん泊まりに来ます。

"地球の歩き方"を見て来ているようでした。
私は、そのゲストハウスを知ったのは
タイ語学校で知り合った男性が
宿泊していたからです。

宿泊料は、1泊日本円で約600円だったと思います。
月借りだと約6,000円・・・・・

私が宿泊してるホテルの値段はその値段の倍以上です。
友達は言います。「宿泊代もったいないから引っ越しなよ・・・・・!」




2012年5月6日日曜日

『タイフェスティバル!スペシャル①』

”微笑みの国 THAILAND”

タイの首都バンコクから北へ飛行機で
1時間程行った所に、小さな古都チェンマイがあります。

チェンマイは観光地で、各国からたくさんの人々が訪れます。
何故、チェンマイに多くの人が訪れるのか?
チェンマイ経由で各国行きの格安チケットが買えるのと
チェンマイの方の人柄だと思います。
みんな、"ニコニコ" と優しいです。

チェンマイの中心地にナイトバザールがあります。
毎夜、繰り広げる大きな夜店
すご~~~~~~~い賑わいです。

ナイトバザールにあるホテルに
私は住んでいました。
ホテルは3ヶ月契約で、(電気代は別)
一ヶ月18,000円位だったと思います。

◆ホテル内にはプールがあり、
そのプールで昼下がり、
本を読んだり・・・・・・・・して過ごしてました。

◆働いてばかりいた私は、急に暇になり
のんびりするのは自分には合わないと思いました。
暇は、自分には合わない事を実感しました。
でも、死にたいくらい虚しかった仕事を辞めてしまった・・・・・・。


◆ホテルの近くにマクドナルドとスターバックスあり
その先には、”テレサ・テンさんが亡くなられたホテル” があります。
私はチェンマイに行ってから、テレサ・テンさんが
チェンマイで亡くなられた事を知りました。

そして、ナイトバザールの反対側に大きな川があります。
その川岸に連なるたくさんのお店・・・・・・・”リバーサイドバー”

その川では、なまずが釣れるようです。
一度やってみようと思っていたんですが、
機会がありませんでした。

◆その川を渡ると、友達が働く ”ゲストハウス” があります。
そこへよく遊びに行き、
そのゲストハウスの出来事を少し書こうと思っています。

但し、とびっきりの話しは書きません。
このブログは無料ですから・・・・・・・・・・・



2012年5月5日土曜日

『この世に絶対と平等と云う言葉は無い!』


”若者からよく聞く 「お金が無い!」”

先日の事です。
突然、ある若い女性からこんなことを言われました。

「お金下さい!」   なんで自分に言うだろう?と思いました。

それに対して私は、「お金が欲しければ、働けばいいだけの事!」
彼女は、「働きたくない!」  ここでガッカリです。

”働かざる者食うべからず”
そしてその彼女に、こう言いました。
「私は、あなたくらいの歳から5年間、夜・昼休まず働き、1年で100万5年で500万円貯めた。」
「普通に働いていてもお金はそんなに貯まらないよ!」

"この5年間は自分に自信がつきました。" それが上の写真です。

そして、
「そのお金で商売(焼き鳥屋等・・)を始めようと思ったが、 "焼き鳥屋は年とってもできる"
まだ31歳だったので、もう一度会社勤めしようと思い
自分の ”やる気” を活かせる仕事をして
大卒と同じ位のサラリーが欲しい!と営業をやっていたんだ!どう思う?」
彼女は、「すごいですね!」 と言ったような気がします。

人は誰でもいつでも、悩みがあるものです。
自分だけと "決して" 思ってはいけないと思います。
問題は、その悩みの解決方法です。
諦めたら、そこで終わり・・・・・・・逃げてばかりいると癖になる。

私も若い頃、悩みました。
どうやって自分の望む人生ににするか?いろんな海に行きたい ”夢” の為

自分流な解決方法

  • "夢・目標" をかなえる作戦を立てる。
  • 自分が,簡単にできる事を考える。
  • お金が欲しいのなら、人より多く働く
  • まずは行動する。
  • やってみる。(想像と現実は全然違う事が多い)
  • 自分をよ~~~~~~~~~~~~~~~く見る。”何が特技か?長所を役立てる!”
簡単で単純な、そして何事も徹底的にする考え方です。

この考え方は、子供の頃に育んだものと思われます。

人は皆、平等ではありません。
お金も持ちの家に生まれる人もいれば・・・・・・・・・・・・・・・
病気がちで生まれる人もいます。

人の環境を羨ましがっても何にもなりません。

自分の考え次第で人生はどうにでもなる。

この世にただ一つ言える真実は、

”人は誰でも絶対に平等に死ぬ!”

”自分の努力次第で良くも悪くもなる” これは平等です。

そして、幸福はお金が全てではありません。
欲しいものは、ほとんど全部で自分で買いました。


先日、言われた彼女の言葉で振い起されました
"悔いのない熱い人生!"




2012年5月3日木曜日

『グループ・サウンズ全盛時代 "オックス" 編! 』

グループ・サウンズが落ち着いてきた頃
私の上の上の兄は、東京へ就職して行きました。

やっと、うるさい兄から解放され
やり放題の日々が戻ってきました。

でも、兄が時々帰省っして来ると
とてもうれしくて、うれしくて・・・・・・・・・・

そして、兄が東京へ帰ってしまう時は
淋しくて、胸がキュン・・・とした事を覚えてます。
あんなにうるさがったのに・・・・
やはり兄弟です。

◆ある日兄は、「東京へ遊びに来い!」と言いました。
大人になったら東京へ行くと決めていたので
うれしくて、さっそく行くことにしました。

中学3年の頃と思います。
まだチビの頃で、小学生に見えるようなチビでした。

当時、新幹線はできてなく
兄は上野駅まで迎えに来て、
妹の手を引いて、東京見物です。

まずは銀座へ・・・・・・
末っ子の私は、母に連れられて東京へは何度か来てますが
銀座は初めてでした。

大都会が珍しくて、新鮮で新鮮で・・・・・・

◆そして銀座の グループ・サウンズが見れる店へ
連れて行ってくれました。

もう感激です!大好きな "オックス" ですから

◆数え切れないほど聴いた "  スワンの涙 " 
聴いて下さい。何度も・・・・・


オックスのピーク時は、コンサートを観に来たお姉さん達が
「キャーキャー!」 と 凄ーーーーーーい騒ぎで
興奮とエクスタシーで失神してしまうほどの人気でした。
昔の女性の方が、情熱的だったと思われます。

"これが東京なんだ!"   と もう興奮しまくりでした。

次は新宿へ連れて行ってくれました。
凄ーーーーーーーーーーーーーーーい人に ビックリ!

兄は妹の手をしっかり握り・・・・・
今度は、"スパイダース" を見たと思います。

今思うと、手をつないで歩いたなんて気持ち悪ーーーーーい・・・

今の時代に見かけますか?
中学生の妹と20才位の兄が手をつないで歩いてるのを・・・・・・・・・

★ザ・テンプターズ/エメラルドの伝説 と オックス/スワンの涙
どちらも私の好きな "湖" が歌詞にでてくるのは偶然・・・・・・・・・・?

エメラルドの伝説

2012年5月2日水曜日

『本との出会い "しろばんば"!』

中学生の頃、上の上の兄の影響で "ドラム" を叩いて記憶があります。
この兄は、とてもうるさい人で
その頃、「本を読め、本を読め!本を借りてきたのか?」と・・・・

どちらかと云うと勉強が苦手な私は
自分から、本を読むと云う行動はとりませんでした。

◆何故?あまり勉強しなかったか?
  • 勉強に関係ある人生は歩まない
  • この勉強が大人になって役立つとは
        どうしても思えない。
  • 勉強で自分を評価して欲しくない
主に以上の理由ですが、もっとあります。
 ◆一番には、
 つまらない・授業のテンポが遅すぎる。
 
 自分で独学した方が早い。

   ・・・・・・・・・・・っとこんな感じです。

◆それより重要な事は、人生は二度とない "悔いのない人生!"

◆自分で意識して、"思い出作りの子供時代" 

ある日、上の上の兄は 「ほら!読め!」と
差し出した本が "しろばんば" でした。

その頃の上の上の兄に、「外で遊ぶな!」 と言われてたので
仕方なく "しろばんば"を読み始めました。

◆本を読み、想像しながら読むのは、"面白い!" と感じました。

それは自分の知らない世界が見えるからです。

◆好奇心旺盛な自分にとって、無限の世界に思われました。


◆ "もっと知りた~~~~~~~~い! いろんな世界を・・・・・・・!"       

中学生の夏休みの一か月を、誰にも合わず
家で読書していた事があります。

読み漁っていたのです。

◆落ち着きのない子供が信じられな~~~~~~~~~い!







2012年5月1日火曜日

『心に残る ”傷だらけの天使” !』

ショーケンと言えば、このドラマです。

ヒットドラマだと思います。
当時の若者は、ほとんど観ていたと思います。

当時19歳で、”傷だらけの天使” を夢中で観てました。

場所は新宿、あるビルの屋上で
間借りしてる感じの事務所。
探偵事務所だそうです。

ショーケンが親分で、アキラが子分・・・・・
アキラ役は、水谷豊さんで
いつもアキラは、「アニキ~!アニキ~!」 」 と
甘えた声でショーケンを呼んで慕い
二人でさまざまな事件を解決すると云う設定。

そして最後に、
アキラが死んでしまうシーンを
鮮明に覚えてます。
 傷だらけの天使  

音楽もいいです。

魚肉ソーセージで育った世代には、たまらないドラマでした。     


こんな感覚のテレビ番組を観れない
現代の若者がかわいそうな感じがします。

私の亡くなった親友は、ショーケンがとても好きで、
よくショーケンの映画を観にいきました。
でも映画が始まると、すぐに眠ってしまう・・・ことも懐かしいです。

でも、"海賊" でショーケンに会った事を親友に話すのを忘れてました・・・・・・・・