子供を育てあげる役目は果たし、
若い頃思った目標は達成したと思います。
◆葬儀に行くまで・・・
親友の告別式に出なかったら
”一生後悔するぞ!” 一晩中考えました。
そして朝になり、再び旅行会社へ行きチケットをお願いしました。
キャンセル待ちにしてもらい、キャンセルをジーと待ちました。
2・3時間位して、「乗り継ぎの悪いチケットなら取れます。」
そのチケットは、夜チェンマイを出発しバンコクには夜中に着き
日本に出発は翌朝でした。
「それでいい、そのチケット下さい。」どうしても帰国しなければなりません。
それからホテルへ戻り、ふらふらの力のは入らない体で
荷物の整理をし段ボールに荷物を詰めホテルに預けました。
夜になり、リュック一つを持ちホテルを出ました。
リュックの中には喪服しか入ってません。
◆私は、母の死が怖くて喪服を持ってませんでした。
でも母が亡くなったので、チェンマイで喪服を作ってしまったのです。
その喪服を、親友の死で初めて着る事になるとは思いませんでした。
喪服を作った事を悔みました。
バンコクに夜中に着き、朝まで野宿のようなものです。
その辺に寝っ転がり、出発時間を待ちました。
翌朝バンコク出発し、自宅へは夕方着きました。
翌日、葬儀会場へ入ると・・・
親友の子供二人が振り向き 涙目で「来てくれたんだね!」と
つぶやくように言いました。
懐かしい友達も来てました。
喪主のご主人の挨拶の言葉は
「自分の母親と同じ年を迎えて亡くなりました。」と
親友は若い頃からよく言ってました。
「私は早く死ぬ、だから早く結婚して、子供を成人にさせてから・・・」
◆そして葬儀が終わり
昨年成人になったばかりの娘がこう言うのです。
「お母さんは、病気のことをみつえちゃんにだけは言わないで・・・・!」と
言ってたそうです。
他の友達はみんなお見舞いに行っていたのに・・・
◆そう言わせた心理は・・・
今でも解明できません。 どう思いますか?
◆そしてこうも娘が言うのです。
「お母さんは、”憧れていた”と、海が好き!チェンマイが好き!な人生・・・・」
◆親友の人生も立派であったと思います。
◆そして私が、何気なく渡したホテルのパンフレットを
大切に持っていたのです。
私はそのことを既に忘れていたのに・・・・・
入院してる時、自分の寿命を解っていたと思います。
何を考えていたんでしょう?
チェンマイにいる私に会いたかったと思います。
それを我慢した事を思うと泣けます。
とても泣けます・・・
”そばにいなくてごめんね”
親友はよくこの家に来て
「窓拭きしないと、汚れてるよ!」
と言ってました。
皆さん、どんな人生にするか?自分次第です!
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