2012年4月23日月曜日

『母が元気だった頃の年間行事!』

”母は、人集めが好きでした”

近所の友達を集め、手料理を振舞っていたようです。
バス旅行に行く為の、人数集めなどもしていたようです。

子供達へは決まって
◆”ゴールデンウィーク” と ”お盆” と ”正月” は、子供達5人全員を集め
宴会をしたり近くへドライブして遊びに行きました。

それは楽しみでした。5人兄弟全員参加してました。

◆でも大変です。食事の支度が・・・・
兄4人は、家族を連れて来りもしてましたから
15人位分の食事の支度と布団の支度。
私は、母の為にほぼそれを手伝いました。

◆そしてこんな事をよく言いました。
「なんで、姉ちゃん生んでくれなかったの?」
その言葉は、小さな頃から言ってました。
その言葉で母は、”ふびん” と感じていたようです。

すぐ上の兄に、毎日いじめられ・・・・・・・毎日・毎日・毎日・毎日
泣いていた、子供時代を忘れる事ができません。

すぐ上の兄は、とても ”食いしん坊” で ”暴れん坊” でした。

◆たとえば、羊羹1本をまるごとかじるほどの食いしん坊で、
また、せんべいは何袋も食べてしまうんです。
無限のように食べる兄


◆子供の頃のその食いしん坊は、妹の食べ物を取り返すのでした。
その度に、私は悔しくて ”ギャーギャー・ギャーギャー” 泣いてました。
その事は、夢にまで出てきて
眠りながら泣いてた事を、よーーーーーーーく覚えてます。

こんな感じです。
昔、”ヤクルト” が出始めた頃、
一人に一本は与えられませんでした。

◆1本のヤクルトを、子供3人に分けて飲むことになり

目印のとこまで、上の上の兄から順番に飲み始め
すぐ上の兄の順番にくると、妹の分まで、”カッポーン!” と一口で飲んでしまうのです。

もう悔しくて悔しくて・・・・・・・・・・・・ ”ギャーギャー・ギャーギャー”
今思うと、普通は小さい子から飲ませるべきだと思います。

今時、ヤクルト1本飲むのが ”夢” と言う子供はいないと思います。

私の当時の夢は、
大好きなスイカを丸ごと半分に切ってスプーンで食べる事でした。

子供の頃の悔しい思い出は、
大人になって、男社会で働く力になったんでは・・・
と思います。

◆悔しさこそが力なり・・・
”悔しい思いをしないと、力を発揮できない” と
自分を分析します。

そして、この兄が姉だったら・・・・・・・・・・・・・・・・・・?
今の人生とは違うと想像します。




0 件のコメント:

コメントを投稿